yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

佐々木俊尚著『キュレーションの時代』(ちくま新書2011年2月刊)

ダウンサイジングの一環で本の整理をしているのだけど、なかなか進まない。手にとると気になり、読んでしまうことが多いから。この本を買ったのは出版直後の2011年5月。佐々木さんの『電子書籍の衝撃』を読んだあとだった。当時所蔵していた本の「電子化」を考えていた頃だった。スキャナー、裁断機をそろえたのだけど、結局頓挫。今も迷っている最中。

改めて目を通すと、出版から5年という時間が経ち、佐々木さんの予想した状況に近いことが当時よりずっと明瞭な形で実現しつつあるし、またすでに実現している。副題は「「つながり」の情報革命が始まる」となっているのだけど、いままでの人と人との繋がり方が、ここ数年で画期的に変化して来ているのは事実だろう。facebooktwitter、は当時からすでに存在していたし、その後はLine等というような「つながり」方も増えた。私も2012年以来さぼっていたtwitter を再開。ありがたいことに、新しいつながりも増えた。

従来ならクラスタ―単位で独立し、自足していた集団。佐々木さんはそれを「ビオトーブ」とよんでいるが、その独立した集団が互いにつながるようになった。それはfacebooktwitter、Lineといった今までなかった形態のソーシャルネットワークのおかげ。facebookはそれがまだアメリカ東部の大学間に限られていた2007年に、教えていた学生に促されて登録はしたのだけれど、プライバシーを侵害されるような気がして、結局辞めた。Lineは個人情報の漏れがfacebook以上のように思えて、使っていない。出自も気に喰わないし。

キュレーターを自認する佐々木さん、この本の中でもっとも印象的だったのは、彼のキュレーターの役割の自負よりも、芸術への関心の方だった。私がいかにアナログ人間かが判る。冒頭のジョゼフ・ヨアキムの絵の「発見」についての章だった。これは以前に感銘を受けた斎藤環さんの『戦闘美少女の精神分析』に出てきたヘンリ―・ダガーの「発見」を連想させた。確かにキュレーターはこういう「発見」とそれを人口に膾炙するのに、力を発揮するのは間違いないだろう。