yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

物語文学の魅力

平安時代の物語文学というと、おおむね以下の作品になるのかもしれない。

• 910年以前『竹取物語』未詳 / 物語
• 成立時期不明(諸説ある)『伊勢物語』未詳 / 物語
• 951年頃『大和物語』未詳 / 物語
• 984年以前『宇津保物語』未詳 / 物語
• 989年頃『落窪物語』未詳 / 物語
• 1008年頃『源氏物語紫式部 / 物語
• 1028年以後『栄華物語』赤染衛門 / 歴史物語
• 1057年頃『浜松中納言物語』未詳 / 物語
• 1060年以前『夜の寝覚』未詳 / 物語
• 1180年以前『とりかへばや物語』未詳 / 物語

先日『とりかへばや物語』を読んだ。それで、がぜん物語文学への興味が沸いて来た。『陰陽師』がきっかけになっている。羽生結弦さんと夢枕獏さんに感謝しなくては。

栄花物語』は図書館に座り込んで目を通した。私が読んだのはすべての巻ではなく、藤原道長一族の繁栄、栄華を書いた巻のみ。ジャンルは「歴史物語」に分類されている。興味があったのはあの清少納言が仕えた一条天皇の皇后、定子が父、兄たちの後見をなくした後、道長によってあまりにも無惨に退けられた顛末がどう描かれているのかだった。女性の視点からの「歴史」がどんなこのなのか。

栄花物語』には克明に定子の心情が綴られていて、胸を打つ。道長の露骨といえばあまりにも露骨なイビリに胸塞がれる思いがする。女性が男性社会の道具として使われるのに甘んじなくてはならない状況、外部環境。これは『源氏物語』で描かれる世界とも共通している。その中で女性が抵抗できる部分というのは、ごく限られていただろう。紫の上は源氏が女三宮を妻に迎えたとき、出家しようとした。そういう「消極的な」手だてでしか、男の支配する社会に抵抗できない。

定子は一条天皇との間に皇子の敦康親王を含め三人の子をなしたが、24歳で死去している。後ろ盾を失った女性の悲哀。いくら天皇が彼女を愛し、彼女を庇っても、時の権力者の意向には背けない。定子は才媛だった母の才能を受け継ぎ才気煥発だったとか。また『枕草子』に詳しく描出されているように、際立って美しい女性だった。彼女が皇子を生んだちょうどその時に、道長は娘の彰子を一条天皇に輿入れさせている。

赤染衛門はこの輿入れの華やかさをこれでもか、これでもかと力を入れて描いている。すでに定子の悲哀は重要課題でなくなっている。ここまでの経緯を語る作者、赤染衛門のはきわめて冷静かつ現実的。彼女とて、道長の力には抗しきれなかっということだろう。というより定子に思い入れがなかったというべきか。それが清少納言との違いといえるかも。あまりにも淡々としていて、読んでいてももう少し「語って」欲しいと思ったりする。これが、語り手の視点がところどころ入る『源氏物語』との差異かもしれない。クリティカルな視点とでも云おうか。『源氏』が書かれてから千年を超えて今なお燦然と輝いているのは、まさにそのクリティカルな視点に理由がある。

それにしても、、私たちはなんと豊潤な文芸をもっていることか。先日読んで衝撃を受けた『とりかへばや物語』も然り。臍を噬む思いなのは、もっと早くに平安時代の物語文学に出会わなかったこと。とりあえず、『宇津保物語』、『夜の寝覚』を読んでみたい。

藤井貞和さんの『物語理論講義』を借り出した。興味深かった。バフチンの「ポリフォニー」が『宇津保物語』に援用できるなんて、驚いた。「うつほ」だけではなく、当時の「語り」の形態分析にこの理論は応用できるだろう。平安期、「物語」がいかに語られたのか、作者、語り手、聞き手の関係が克明に分析されていて目が開かれる思いがした。特に当時、物語が聞き手に向けて「語られるもの」であったという点。朗読劇に通じるものがある。また、宮廷のサロンという舞台で繰り広げられる劇のようにも捉えられる。ここには「祝祭性」もみられるわけで、そこに目をつけた藤井さんの慧眼に感心至極。一昔前、英文学研究、とくにアメリカでのそれにはバフチンが使われているのをよくみたけれど、同時期に国文研究でも西洋での批評理論が援用されていたとは。

栄花物語』に戻ると、作者の赤染衛門の歌は、百人一首にも一句採用されている。「やすらはで ねなましものを さよふけて かたぶくまでの つきをみしかな」。この句にも、恋に一途には溺れきれない彼女の客観的な目を感じてしまう。