yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

懐かしい小学館の「日本古典文学」シリーズ

小学館の「日本古典文学」シリーズには、アメリカの大学院にいたころ、ずいぶんお世話になった。私のいた大学には East Asian Studies があったので、大学図書館のアジアの、特に日本、中国の文献はとても充実していた。「日本古典文学シリーズ」では、岩波(新編と旧編)、小学館、新潮社のものがそろっていた。もちろん選集の類いもあった。私がお世話になった古典シリーズは小学館のもの。ただしそれは旧版の赤い表紙の方。岩波の「日本古典文学」シリーズよりも註が分り易く、また解説も優れていた。また訳が下段に付いていたので、頼りになった。それぞれの巻の解説は時の研究者のトップが付けていた。

よく使ったのが江戸文学の38巻から49巻まで。とくに46、47巻の江戸戯作には、ペーパーを書く際、ずいぶんと助けられた。もともとは英米文学の専門だったので、それまで戯作なんて目を通したことすらなかった。多くの日本人がそうなのは、教育課程で古典に触れるのが「古文」の授業だけだから。文科省も中途半端な英語を小学校から導入するより、日本の(翻訳でもかまわないから)古典を読ませる授業を充実させるべきでは。脱線失礼。文科省の「代わり」に古典教育しているのが、漫画かもしれない。

小学館の「日本古典文学」は旧編が全51巻なののに対し、新編は全88巻なので、コレクションの充実度ははるかに上だろう。それぞれの巻の編者、解説者は旧編とは異なっているだろうから、江戸戯作シリーズを比較してみたい。でも旧編を図書館等でみるのは無理かも。

旧編の江戸戯作の「解説」を通して、私が勝手に「師事した」研究者は中村幸彦さん。もう鬼籍に入っておられる。その学識に感服。今Wikiでみると、ちょっと以外な解説が。曰く、「代表作『戯作論』は、近世戯作を詳細に検討し、一般には風刺文学などと言われるが、うがち、ちゃかし等が本領であり、風刺の名には値しないと述べた。自らの研究対象に近代的な幻想を投影しない著述姿勢は、他に冠絶している」と。私がもった印象とは違っている。中村幸彦さんの戯作への「愛情」が彼の解説から伝わってきて、それに私は惹かれたから。『中村幸彦著述集』全15巻が中央公論社から出ている。この機会に図書館で当たってみようと考えている。