yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

片岡仁左衛門・中村鴈治郎主演『土屋主税』in 「當る申歳吉例顔見世興行」@京都南座12月15日夜の部

3時過ぎまで御所羅い舞座の「小寅丸祭り」にいたので、かなり遅刻。途中で食事をしたこともあり、着いた時は口上の最中。終わるまで待ち、『土屋主税』からの観劇。

最初、今年1、2月松竹座ですでに「四代目鴈治郎襲名」興行を観ていたので、行く気はなかったのだけど、「やっぱり恒例の「『顔見世』は観ておかなきゃ」って思い直しての観劇。三階席。でもよく見えた。南座は舞台から三階席の後方までみえる構造だというのは、今年5月の「南座春の特別舞台体験」で確認している。あのウルトラ急斜面の席が役に立っていた。それにしても、前のピッチが極端に浅い席構造は、観客には責め苦だけど。

この作品は以前に観たことがある。討ち入りに合わせたもので、『忠臣蔵外伝』の一つ。「玩辞楼十二曲の内」となっている通り、鴈治郎家、つまり西の成駒屋のもち狂言。さすがに新鴈治郎、土屋主税を演じて説得力があった。彼の上方風の滑稽味も十分に活かせていて、前の松竹座での「襲名興行」より、よほど良かった。そういえば今年1月、2月の松竹座での「四代目中村鴈治郎襲名披露」公演を皮切りに、新鴈治郎は「玩辞楼十二曲」 を次々にこなしてきた。この公演で「襲名披露」はおしまい?以下がチラシ。

以下が「歌舞伎美人」からの「配役」と「みどころ」。

<配役>
土屋主税  翫雀改め鴈治郎
侍女お園  孝太郎
落合其月  亀鶴
河瀬六弥  梅枝
西川頼母  寿治郎
晋其角   左團次
大高源吾  仁左衛門

<みどころ>
渡辺霞亭が書いた忠臣蔵の“外伝もの”。浪士の理解者である土屋主税を主人公にして、俳諧を巧みに折りまぜながら、浪士の大高源吾との交流と、討ち入りを待ち望む心情を描いた作品です。主税は大身の旗本としての鷹揚な雰囲気と、武士としての生一本な性根が身上となる役柄。また、源吾は爽やかな姿と心情を要求される役柄です。

初世中村鴈治郎が制定した「玩辞楼十二曲」の一つに数えられる名作を新鴈治郎が演じます。

三階席からでも、それにオペラグラスがなくても(持ってくるのを忘れていた!)、仁左衛門の姿のよさ、声のよさはよく分かった。若い侍にしかみえない。それも男前の。昨年10月、そして今年10月、ともに歌舞伎座で彼を花道そばの席で観ている。いずれの折にも、その若さと華やぎは際立っていた。それは玉三郎にも共通しているが、この二人が「孝玉コンビ」として、一世風靡したのも、「宜なるかな」って思わされた。二人とも年齢を感じさせない姿、声の良さ。そして、なにより品がいい。これが長年のファンがついて離れない所以だろう。近くに座った年配女性が、「東京から仁左衛門の『土蜘蛛』を観に来たんです」とお隣の方に話しておられたけど、これにも納得。『土蜘蛛』を見逃すのはちょっと残念だったかも。

仁左衛門演じるのは、赤穂浪士で「子葉」という俳名を持っていた大高源吾。俳諧の師匠の宗匠其角の、「年の瀬や 水の流れと 人の身は」という発句に、「明日待たるゝ その宝船」と返したという話は、歌舞伎『松浦の太鼓』としてあまりにも有名。吉右衛門の持ち狂言で、以前に観ている。

「玩辞楼十二曲」中の『土屋主税』では、松浦候が土屋候に替わっている。貧窮の身でありながらもたしなみを忘れなかったという趣向。そういう人物として描かなくてはならない。血気に逸るばかりの若い侍ではない。この源吾に、それとは対照的な血気盛んな落合其月を配したのは脚本の上手さだろう。其月が子葉に迫る其角邸の場面は、見応えがあった。

彼が師匠の其角に「西国のさる大名に仕官する」と言うときの、あのしみじみとした語り口。それだけで、この人が主君のために死を覚悟していることが伝わる。思わずほろりとしてしまった。その覚悟に気づかない其角がうつけにみえてしまった。仁左衛門の上手さが際立つ場面。

それと雪の中のあの歩きかた。雪が見えた!大袈裟でなく、かといって地味でもなく、動作一つにあれだけの意味を籠められる役者はそういない。あの姿だけで、三階席からでも仁左衛門と判る。

それにしても仁左衛門のあの「はんなり」感。やっぱりお父上のDNA?お父上の十三世仁左衛門はほん二三度観ただけだけど、強く印象に残る役者さんだった。なによりもその高貴さで。声も(鷹揚な京都弁だった)姿もいい役者さん。羽田澄子さんの映画、『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』にそれが描き尽くされていた。京都南座が最後の舞台だった。ご子息の現仁左衛門も南座には一方ならない思いがおありだろう。

先日たまたま『情熱大陸』が仁左衛門を取材した番組がyoutubeにアップされているのを見つけた。最後までみてしまった。故勘三郎が著書に書いていた二人の掛け合い漫才のような会話が甦ってきた。お茶目な人でもある。