yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

橘小寅丸さんゲスト@「浪花劇団」京橋羅い舞座9月21日昼の部

演目が『二本足の野良犬』というべたべたの継子苛めもので、行くのを迷ったのだけど、「小寅丸さんが演じられれば『観賞に耐えるもの』になっているかもしれない」と、出かけてしまった。この6月、高槻千鳥劇場に乗ったこの劇団で観て、うんざりした演目。今回の配役。主人公の政吉を小寅丸さん(6月は新之介座長)、その母をめだかさん、政吉とその母が世話になっている店の当主を新之介座長(6月は大川龍子さん)。後はほぼ一緒。若手三人は以前とおなじ配役。蛇々丸さんも意地悪な番頭役で同じ。

結論からいえば、さすが小寅丸さん、このアナクロリズムにどっぷりと塗り籠められた芝居を、一応観られるレベルにレベルアップされていた。演技力の差。6月には中途で退出してしまったのだけど、今回は最後まで観通した。小寅丸さんという方は「やるぞ!」って感じではなく、雰囲気がどこか「ほんわか」している。でも巧いんですよね。まさに天才。歌舞伎界にもめったにいない。こういう人が大衆演劇界におられるということは、日本に脈々と伝わって来た演劇伝統の記憶、その「したたかさ」を感じて、うれしくなる。彼のおかげで、この観るに耐えない芝居がある程度までなってはいたけれど、こんなのにつきあわされて、おきのどく。

6月はマゾヒズムの権化のような役のめだかさんの演技に、辟易したのだが、今回は小寅丸さんとの掛け合いに「感心」した。めだかさん、すごい演技派。ただ、いくら演技派でも組む相手によって、それを発揮できないのだと判った。

うんざりしたのは店の主人役の座長。これでもか、これでもかと政吉とその母を虐めるのだけど、そこには一片のおかしみ味もない。「ギャグ」を連発しているつもりが、すべてハズレ。いちばん良くなかったのは、座長のシモネタ。めだかさんへのそれは、聞いていて胸が悪くなった。セクハラですよ。小寅丸さんへの「楽屋落ち」のネタ振りもいただけなかった。飛龍座長は決してそんなことはされない。美佳さんへのセクハラもみたことはない。シモネタは聞いたことがない。品性の差!そして器の大きさの差。

小寅丸さんは粛々と自身に与えられた役を演じられていた。アッパレ。舞踊ショーではなんと!4曲も踊られた。いずれも小寅丸ワールド全開だった。女形はキュートでいて色っぽさの極地。この劇団の若手たちにも良い刺戟になっただろう。「メタモルフォーゼ」がどういうことか、どうすれば非日常を舞台に現出できるのか、そのお手本を(生で)目撃できただろうから。

私がこの日、こうなることを承知しながらこの場に出向いた理由は、小寅丸さんのゲスト振りを確認したっかったこともあるのだけど、蛇々丸さんを観たかったからでもある。芝居の中では悪い番頭役でちょろっとしか出られないのだけど、やっぱり光っていた。どこにいても光るひと。彼のすごさは、以前「蛇々丸さん讃」として当ブログ記事にした

蛇々丸さん、舞踊ショーではやっぱり一曲のみ。「男の酒」。それでも彼が舞台で踊り始めると、背景すべてが消えて、そこだけが浮き上がってくる。そこを中心に舞台が回る。しぶい色気。まだお若いんですけどね。この日は若衆頭。着物はいつもながら黒っぽいもの。エメラルドグリーンの裏が見えるのがなんともオシャレ。この日も、「上手い!上手い!」を連発しながら観ていた。至福のときはあっという間に終わる。この方が踊られるのをもっと観たい。でもいつも1曲のみ。

それにしてもあの口上の長さ、なんとかならないの?だらだらとやたら長い。来月京橋羅い舞座に乗られる小泉たつみさんのウィッティな、まるで落語のような口上だったら、何十分でも聞いていたいんですけどね。

もうひとつ苦言を呈するなら、お子さんの一心君を出すのは止めるか休日のみにすべき。観客は身銭を切って来ているのだから、「おこさま芸」は観たくない。それにせめて小・中学校をきちんと行かせないと、本人があとで困る。今までに観てきたきちんとした劇団は、それを遵守していた。