yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ロイヤル・タイラー著「おごれる光源氏」 in 『源氏物語国際フォーラム集成』源氏物語千年委員会 監修芳賀徹 非売品2009年3月刊

この『源氏物語国際フォーラム集成』、神戸市中央図書館の開架書架にあった。迷うことなく借り出した。「国際フォーラム」と名のつく「大会」はたいていが世界各地からの寄せ集め研究者の、かなり的外れの発表集成であることが多いのだけど(私見です)、ここに集められた論文は面白かった。基調を無理にすりあわせようとしていないところが良い。それも対象が『源氏』だからなんだろう。『源氏』があまりにも「モンスター」であるがゆえに、それについて言及するのは逆に「なんでもあり」になっても仕方ないと思わせられてしまう。そんな「懐の深さ」をもつのが『源氏』。これが三島由紀夫対象の「国際フォーラム」だと、発表のぶっ飛び度加減に「これはないんじゃないの」と腹を立てるのがオチなんだけど。

「そういや『源氏物語千年記念』関連行事が京都であったナ」と今更に思いだしている。そのころは勤務先での負担が重くなってきていた頃で、源氏への関心は封じ込めざるを得なかった。それにしても惜しかった。参加しておけば良かった。

「集成」中、異彩を放っていたのがこの論文。ロイヤル・タイラー(Royall Tyler)氏は『源氏』最新訳で知られている。でも私が彼の日本文学の翻訳に最初に出逢ったのは『Japanese Noh Dramas』(Penguin)でだった。そのすっきりした透明感に唸った。その印象が強かったので、源氏はどうだろうと思ったのだけど、こちらもすばらしかった。でも手許にあるのはサイデンステッカー訳のもの。タイラー版はペン大の図書館で借りて、それを持って源氏の授業を「聴講」させてもらった。大学院時代の指導教授、C先生の授業だった。アメリカの学生がまるで今ここで起きたている事のように源氏の世界に入り込んでいたが、それを可能にしたのは、やはりタイラー版訳の現代性が際立っていたからだろう。

前置きが長くなってしまったけど、この「おごれる光源氏」、めっぽう面白かった。アプローチの仕方が今までのものとかなり違った。研究論文も一般向けの解説でも、光源氏という人を名うてのプレイボーイとして捉え、その視点から女性立ちとの関係を分析するというものが多い。タイラー氏の関心はそこにはあまりないよう。源氏の躓きの最たるものが彼と女三宮との結婚にあるというのは広く認められている。彼もその点は共有しているのだけど、源氏の躓きの原因が他の論者のように、彼の「色好み」にあったとはしない。最愛の紫の上という公私ともに認められた妻がありながら、より歳の若い女三宮に気を惹かれたという視点はとらない。源氏が女三宮を正式の妻としたのは、あくまでも彼の政治的な思惑からだというのだ。源氏は高位の妻を求めていたのだという。この場合は皇女ということになる。

こういう視点はいままで主流(?)だったフェミニスト的な解釈とは一線を画するものだろう。原文を隅から隅まで読み込んだ翻訳者ならではの解釈だと納得させられるものでもあった。