yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

愛之助が出色『もとの黙阿弥』@松竹座9月2日昼の部

チラシの裏の宣伝文句が以下。

『もとの黙阿弥:浅草七軒町界隈』井上ひさしの傑作、豪華キャストを得て、ここに復活!!ちょっとした思いつきが、たちまち大きな騒動に!?明治の浅草芝居小屋に笑いと涙が入り乱れる」

演出は栗山民也。

チラシにあったあらすじは以下。

時は文明開化の明治。黙阿弥の新作まがいの芝居を上演して興行停止の処分を受けてしまった芝居小屋・大和座の座頭坂東飛鶴(波乃久里子)と番頭格の坂東飛太郎(大沢 健)は仕方なく「よろず稽古指南所」をひらく日々。京も野菜売りの安吉(浜中文一)たちが「かっぽれ」を習いに来ている。

そこへ男爵家の跡取りの河辺隆次(片岡愛之助)と書生久松菊雄(早乙女太一)が訪れる。隆次は姉の賀津子(床嶋佳子)が勝手に決めた縁談の相手と舞踏会で踊らねばならず、久松のすすめで飛鶴の西洋舞踊を習うことにした。

二人と入れ違いに現れたのは長崎屋新五郎(渡辺 哲)。良縁が舞い込んだ娘のお琴に西洋舞踊を仕込んで欲しいと頼む。翌日、やってきた長崎屋お琴(貫地谷しほり)は女中のお繁(真飛聖)と入れ替わって相手に会い、その人柄を確かめたいと言う。

ところが当日、隆次と久松も同じように入れ替わって登場したからさぁ大変!互いの入れ替わりを知らないままの出会いが、七軒町の人たちを巻き込みながら、思いもよらない大騒動へと発展していく・・・。

以下は「歌舞伎美人」から。

「初演では叔父の仁左衛門が勤めた役。ご縁がある作品です」と言う愛之助は、本当は男爵家の跡取り息子なのに、その書生になりきって歌舞伎を演じる、という複雑な設定もあり、「役の素顔が見え隠れするところが難しい。ちゃんとした歌舞伎の形やせりふにならずに歌舞伎をしなければならないので、誰かにせりふを棒読みしてもらって、それを真似しようかなと」と、初役に挑むにあたり、早くもいろいろとアイディアを巡らせているようでした。

芝居小屋の座頭、坂東飛鶴役の波乃久里子は、30年越しに出演がかなったことを喜び、「観るとやるとは大違いで、本当に大変な役。今はこの歳で挑むことに感謝です」。大好きな作家には「3度(出演を)乞われないとだめ」と決めているそうで、「今回は天国からの3度目の依頼と思うとうれしい」と、顔をほころばせました。

今の私の関心にもっとも近いことが、舞台で観れたのが最大の収穫。現代に生きる劇作家、井上ひさしの命をかけたプロジェクト。歌舞伎をいかに芝居に取り込み、現代の芝居として再構築できるか。彼はいろいろな資料を渉猟し、実舞台にも足を運んだだろう。そこから歌舞伎のキモを掴んだ。古色蒼然とした価値観が、時代を超えてなぜわれわれに訴えてくるのか。それを可能にする歌舞伎の「虚構」はどう組み立てられているのか。この核心にある工夫(devices)のひとつがあの歌舞伎独自の「実は」であることを、井上は知ったのだろう。この芝居では「実は」が実に上手く機能していた。