yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『祇園恋づくし(ぎおんこいづくし)』八月納涼歌舞伎@歌舞伎座8月21、22日第三部

まるで現代劇。きわめて洒脱。舞台は京都、タイトルにもあるように時期は祇園祭のころ。とはいうものの、全編の基調になっているのは江戸っ子指物師、留五郎の江戸っ子気質とその気風の良さ。ソースが古典落語「祇園会」というから、江戸前の洒脱さは当然なのかも。洒脱でいながら、奥が深いのも古典が基本にあるからだろう。

以下が「歌舞伎美人」からの配役とみどころ。

<配役>
大津屋次郎八/女房おつぎ:扇雀
指物師留五郎:勘九郎
芸妓染香:七之助
手代文吉:巳之助
おつぎ妹おその:鶴松 ※
持丸屋女房おげん:歌女之丞
岩本楼女将お筆:高麗蔵
持丸屋太兵衛:彌十郎
※中村虎之介休演につき、配役を変更しております。


<みどころ>
祇園祭でからみあう意地と粋と恋
 京都三条で茶道具屋を営む大津屋に、江戸の指物師留五郎が泊まっています。主人次郎八が若い頃、江戸で世話になった人の息子で、祇園祭が近いので滞在していましたが、京になじめず江戸へ帰ろうとします。ところが、次郎八の妻おつぎの妹おそのに一目ぼれをした留五郎は、そのおそのから江戸へ連れて行ってほしいと言われ有頂天。実はおそのは、手代文吉と深い仲で、駆け落ちの手助けを頼まれたのです。そんな中、おつぎからは次郎八が浮気をしているかもしれないので調べてほしいと頼まれ、結局留五郎は京にとどまることにします。一方の次郎八は、ひいきの芸妓染香に熱を上げていますが、どうにもうまくいかない様子。山鉾巡行の当日、次郎八と留五郎は持丸屋太兵衛に鴨川の床へ招かれ…。
 祇園祭を背景に、京と江戸の意地の張り合い、恋愛模様を明るく描いた作品です。

「とりちがえ」、「ゆきちがい」、それが幾重にも重なってストーリーが進行。起伏のある構造がおかしさをより人間味のある、真に迫ったものにしている。いかにも落語ネタ。「祇園会」でネット検索をかけたら、この落語にも原話があるとのこと。天保期の笑話本の「京見物」らしい。江戸対京都の文化差を、おもしろ可笑しく際立たせるのが主眼だったらしい。それを江戸、京都をそれぞれ「代表する」二人の男の対比/対立を通して描くという趣向。

「筋書」によると昭和3年、歌舞伎座において六世菊五郎、二世延若によって初演。このときの題は『祇園祭禮人山鉾』。それを宇野信夫が改訂、昭和32年、十七世勘三郎、二世鴈治郎によって歌舞伎座で舞台化。その次がずっと下って平成9年南座のもの。宇野本を参考に小幡欣治が新たに書き下ろし、三代目鴈治郎(現坂田藤十郎)、十八世勘三郎が主演した。今回主人公二人を鴈治郎の次男、扇雀と勘三郎の長男、勘九郎が演じるのは、そっくりそのまま平成版を子供たちが引き継いだことになる。平成版を観ていないので、比較できないのだけど、扇雀も勘九郎も親たちの演じ方を「忠実に」再現しようと骨折ったことは想像に難くない。

落語『祇園会』では桂文治がその江戸ことば/京ことばの使い分けが絶品で、「祇園祭の文治」でならしたそう。上方で修業したのが活きたのだという。たしかにこの芝居のキモの一つはそれぞれ特徴的な、天と地ほどにも異なることばの対比にある。それぞれのことばはそれぞれの文化を表象しているのみならず、ご当地人間の気質を余すことなく表している。だからどの役者を当てはめるかということが、最重要課題でもある。

勘九郎の江戸弁、完璧。当地育ちだから当然。それにしても彼の口吻はまるで故勘三郎に生き写し。オソロシクそう。まるで腹話術で勘三郎が喋っているかのよう。立て板に水、せっかち、早口、すべて揃っていた。そしてその洒脱なこと。彼を江戸っ子、留五郎に配した段階で、この芝居の成功はほぼ決まったようなもの。対する京男の次郎八役の扇雀。お父上の鴈治郎は上方どっぷりの役者だけど、彼自身は東京育ち。いくら父母が関西の人間だからとはいえ、京都弁はかなりきつかったのでは。しかも次郎八女房のおつぎも演じる二役。男ことばと女ことば、京都ではこれもかなりの差がある。さぞ苦労だと思う。でもクリア。ただ、京ことばというより、上方弁に近く感じるところはあった。

芸者染香を演じた七之助の苦労はそれ以上だっただろう。芸者ことばは京ことばでも特殊。短い期間にかなりの特訓があったのでは。特訓といえば巳之助もおそらく特訓を受けたにちがいない。板に付いていた。贔屓目ではなく、「東京役者の上方ことば」にしては出色の出来だった。大仰にしゃべることで、京都弁の微妙なニュアンスをぼかすことができる。それを「発見」し、利用したのは知能犯。彼もたしかお母さまが関西出身。

芝居いちばんのハイライトシーンはなんといっても終盤近くの留五郎、次郎八が互いの出身地を貶し合う諍いのさま。ことばの特徴が誇張気味に出ていると同時に、それぞれの気質も遺憾なく発揮されている。オカシイ。なんども「上手い!」と呟いてしまった。この「いかにも」って感じが、やっぱり落語なんでしょうね。はまるところにぴたりとはまっているのは、実に痛快。というわけで、芝居の基調はやっぱり江戸前。

江戸対京都という構図が際立つのは、主人公二人がそれぞれ職人対商人であることと関係しているというように思った。江戸=職人、上方=商人というこの対比、今でもそれぞれの人の気質として、あるいは文化として遺っているのでは。類型化でチンプになる嫌いはあるかもしれないけれど。

このお芝居、関東での受け方と関西との受け方、反応が違ってくるのでは。関西でもぜひ演って欲しい。