yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『上州土産百両首』桐龍座恋川劇団@新開地劇場8月15日昼の部

お芝居からのスタート。たしかにこの演目はじっくりと演じる必要があるだろう。この日から純座長のお兄さまの純弥さんがゲストということで、これは彼の発案?純さんが牙次郎、純弥さんが正太郎。色々な劇団が演じるのをみてきたお芝居。どこのものもその劇団の特色がよく出ていた。恋川版は原作台本に忠実なお芝居。その点では2014年1月に「新春浅草歌舞伎」で観た猿之助/巳之助のものにもっとも近かった。このときの巳之助牙次郎。計算された緻密な演技に強烈な衝撃を受け、彼の力量が並々ならないものであることを思い知らされた。今でも目に浮かぶ。私はそれ以来巳之助ファンになってしまった。

純弥/純の組み合わせもそれぞれがニンにぴったりの役。歌舞伎にはない大衆演劇ならではの「自然体」がよかった。純さんの牙次郎はホントに自然体。対する純弥さんの正太郎はどこか「庇護者」っぽさを纏っているところがやっぱり自然体の「正太郎」。実際に兄であるという関係が活きている。もっと興味深かったのが、実際の兄弟という関係のみならず、純弥さんが劇団を去った「事情」のようなものが垣間見えたところ。大衆演劇はファミリーで演じることが多いので、どうしてもそういう背景が被ってくる。観客はその二重、三重になった構造の組み合わせの妙を味わい、楽しみつつ「観る」ことができる。なにか切実なリアリティを感じてしまう。もちろんそれは視る側の独りよがりだったりするんだけど。少なくともこういう複層的な場を役者と共有するのも、生の舞台ならでは。

すべてが上手く回って、見応えのある舞台を創り上げていた。大衆演劇でのこの作品ではいちばんよかった。何度も言うけど、「自然体」のところが。変に気張ったり、気取ったりすること、あるいは大衆演劇にありがちな「深刻ぶったり」することがまったくなく、口調は歌舞伎風にしてはいても現代劇。それがこの兄弟、そして他の座員たちの性質と噛み合っていた。恋川劇団にはいつも驚かされる。不意打ちを喰らうとでもいうべきか。おまけにこの日は純弥さんという「隠し球」が加わって、より充実度が増していた。ホントに良かった!