yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「大津絵の表現は日本のマンガの元祖だと思う」by クリストフ・マルケ

『エコノミスト』の最新号に「『大津絵』をフランスに紹介、クリストフ・マルケ」という記事が載っていた。日仏会館・日本研究センター所長の肩書きのこの方、日本の近世/近代美術の研究者だという。「浅井忠と明治画壇」で東大で博士号取得。その後フランス国立東洋言語文化大学で教鞭を取っておられたらしい。そういえば、日仏会館に所縁のある人にはポール・クローデルなど文化人が多い。

マルケ氏著『日本の民画・大津絵』(OTSU-E、ビキエ社)には木版画の78点が収録されていて、それぞれに解説が付されているという。彼が興味を持っているのは世俗画、とくにその風刺精神で、検閲が厳しかった当時、権力への不満を絵に託したところが魅力だという。しかもこの諧謔精神が現在のマンガに通じているとみている。もちろんフランスだけではなく、日本でも大津絵は知られていない。出版をきっかけにして日本美術をフランスに紹介する架け橋にしたいという意気込みのようである。うれしくなる。

私が大津絵について知ったのは歌舞伎からだった。でもなんの芝居だったかは思いだせない。ネット検索をかけると、あの「吃又」で有名な『傾城反魂香』の中に出てくるという。でも私が観たのはこの演目ではなかった。たしか、東海道大津宿に宿泊していた旅の一行が大津絵を愛でる場面でだった。初めて聞く「大津絵」という名称に「一体なに?」と思った。「歌舞伎美人」によると『ひらかな盛衰記』の<逆櫓>にも出てくるという。今月の歌舞伎座でまさにこの「逆櫓」を観るので、確認したい。歌舞伎舞踊の「藤娘」にも言及があるらしい。

大津絵についてはこのようにほとんど現在は知られていない。大津絵について歌舞伎以外での言及があったのが、たしか江戸の国文学者天野信景の随筆集『塩尻』中だった。『塩尻』も日本ではほとんど知られていないのでは。私もアメリカの大学院で初めて聞いた。授業で使ったのだけど、大津絵が出てきて驚いた。

このネット検索で鈴木堅弘氏著の京都精華大学の紀要論文、「『趣向』化する大津絵——からくり人形から春画まで」を発見。興味深く読んだ。江戸も元禄期になると、農耕技術の発展が貨幣経済を促進した。裕福な商人が経済を担うようになり、それとともに文化も花開いた。。遊びの文化は商人や公家、大名階級のものにだけでなく、農民、芸能民、遊女等にも及んだという。もとは「仏画」だった大津絵は、商品として流通するようになるにつれ「世俗画」へと変貌を遂げる。さまざまな趣向をこらしたものが流通していたという。もちろんそれを大量に生産する工房もあった。「文化の商品化」と鈴木氏はそれを表現している。この世俗画としての大津絵、歌舞伎の「吃又」を題材にしたものもけっこうな数あったようで、この論文中にも画像が掲載されている。たしかに現代のマンガを想起させる。

それにしても絵画は資料として残っているのが羨ましい。演劇はその場一回きりというその性質上、残らない。記録するにも、限界がある。