yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師』METライブビューイング@なんばパークスシネマ5月29日

この日が上映最終日だった。『カヴァレリア・ルスティカーナ』と『道化師』の二本立て。『カヴァレリア・ルスティカーナ』は2012年11月に兵庫の芸文センターで観て、ブログ記事にもしている。ソフィア国立歌劇場オペラの来日公演だったのだが、そのときの印象では、クラーイ復讐劇。イタリアのシチリアが舞台で、マフィアの復讐劇に通じるものがあると思った。で、今回気が進まなかったのだけど、観劇券がムダになるのはもったいなかったので、出かけた。ほとんどの上映劇場が午前10時始まりで、「なんばパークス」のみが午後6時半始まり。ということで、『カヴァレリア』の方は飛ばし、京橋羅い舞座の恋川純さんのお芝居を観てから、そのまま移動、『道化師』のみを観ようと計画を立てた。

「なんばパークスシネマ」に着いたのが7時20分ころで、まだ『カヴァレリア』の上映中。最後の30分近く、観ることになった。以前に観たブルガリアオペラとはずいぶんと演出が違っていた。もっとモダンな感じ。それと村人の数がハンパなく多い。さすがMET、お金がかかっていますね。舞台装置は抽象度がブルガリアのものよりずっと高く、また照明も凝っていた。いかにもMET。METに乗ると、よくも悪くも「アメリカナイズ」というか、METナイズされてしまう。映画を観ているような感じ。もちろんこれは映画なんですけどね。実際の舞台より有機度が減じている。これ、好き嫌いが分かれるだろう。私はケッコウ好きだけど、でも演目によりけりかも。去年METで実際に観た『蝶々夫人』や『清教徒』は抽象度が少なかった分、ヨーロッパのものに近かったのではないだろうか。ヨーロッパのものといっても、来日した歌劇団いくつかと、現地で観たものではプラハ、ミラノ、それにベルリンのものしか知らないので、大風呂敷になってしまう。スミマセン。

松竹、METライブビューイングのサイトに掲載されていたアメリカでのreview は以下。

見事な新演出の《カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師》2本立て…METが手掛けた目を見張る新演出は、長年の間に定番化されてしまったこの2本立てに、あるべき情熱とドラマのすべてを蘇らせた。 METが最も信頼しているテノール、マルセロ・アルヴァレスは《カヴァレリア》トゥリッドゥ役と《道化師》カニオ役の両役に挑むという、困難ゆえに希なチャレンジを、いとも簡単にやってのけた。エヴァ=マリア・ヴェストブルックは迫真のサントゥッツァ役を歌い演じ、ネッダ役のパトリシア・ラセットは見事なパフォーマンスで客席を魅了、ジョージ・ギャグニッザは立派な《カヴァレリア》アルフィオ役と《道化師》トニオ役の両役を披露した。---Huffington Post

今回の2本立てで指揮台に立つのは、本作に理想的なマエストロ、MET主席指揮者のファビオ・ルイージである。素晴らしいMETオーケストラから明瞭で色彩豊かな、そして力強い演奏を両作において引き出した。アルヴァレスの歌唱は、私がこれまでMETで聴いたなかで、最も情熱的で圧倒的なものだった。エヴァ=マリア・ヴェストブルックはカリスマ的な歌唱で、胸が痛むほど脆く繊細なサントゥッツァを表現し、パトリシア・ラセットは威勢の良い魅力的な歌声と、迫力の声量で個性豊かにネッダ役を歌い上げた。---New York Times

デイヴィッド・マクヴィカーが手掛けたMETの新プロダクションは、細部まで綿密に演出され、2作の短編ヴェリズモ作品を絶妙に現代的な視点で鮮やかに描いている。陰影が見事に表現された合唱、そしてファビオ・ルイージが率いるMETオーケストラの演奏は秀逸である…《道化師》の劇中劇はボードヴィルショーの演芸コンサルタントが携わり、3人の芸達者な道化師たちの助けを借りて、大笑いする舞台に仕立てられた。---Wall Street Journal

どれもあまりピンとこなかった。アメリカ劇評、そういうことが多い。ただ、これらの評すべてに共通しているのは、ルイージの指揮振りへの賞賛である。あの軽やかさは、やはりイタリア人指揮者のものだろう。それには完全に同意する。それと演出のデイヴィッド・マクヴィカーの評価は正鵠を射ている。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』は最後の30分しか観ていないのに、大口をたたくなといわれそうだけど、私にはヒロインのエヴァ=マリア・ヴェストブルックにはそれほど高得点があげられない。ブルガリアオペラのヒロインもそうだったけど、太り過ぎ。声はたしかに素晴らしかったし、悲嘆にくれる役どころはそこそこ上手く演じていたけれど、まるで中年女のように太っていては興ざめである。最近は女優とみまごうばかりの美貌の歌姫が多く出て来ているのだから、自己管理はしっかりすべきだろう。彼女はオランダ出身のよう。オランダ出身の歌姫を初めてみた。インタビューに答える姿は確かに感じが良かったのだが、この役に必要な悲劇性が今いち醸し出せていなかったように思った。インタビューは怖い。インターミッションのインタビューには功罪両方がある。

「インタビューが怖い」というのは、『カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師』双方で主役を演じたマルセロ・アルヴァレスにもいえる。彼はアルゼンチン出身のよう。彼にもNew York Timesのような高得点はあげられない。インタビューではふつうのおじさんという趣き。声はヴェストブルックと同様、素晴らしかったし、スマートさに欠けるというか泥臭さのが役柄に合ってもいた。その点は評価できるが、なにかパンチが効いていない。それが「普通」とおもった所以。ある意味MET的なのかもしれない。パンチが効いていないので、悲劇性も際立たない。それもヴェストブルックと同じ。オペラがいかに難しいかが、この演目をみて分かった。「役者」としての質が求められる。表現力が求められる。とくに最近の舞台では。

『道化師』の方は一転、楽しい舞台だった。ネッダ役のパトリシア・ラセットが良かった。この人、アメリカ出身らしい。インターミッションで彼女がNYのクイーンズの高校を訪問する場面があるのだけど、それが興味深かった。子供たちとの応答が特に楽しかったし、示唆的だった。彼女のいかにもアメリカ的な楽天的な人となりが、そのまま『道化師』のヒロイン役へとすっきりと繋がった。その意味ではインターミッションの映像が舞台に貢献したことになる。

この『道化師』、レオンカヴァッロ作で、時代も舞台も『カヴァレリア』とほぼ同じ?復讐がテーマになっているところも、似ている。以下、松竹の「METライブビューイング」サイトから。

出演:マルセロ・アルヴァレス(カニオ)、パトリシア・ラセット(ネッダ)、ジョージ・ギャグニッザ(トニオ)、ルーカス・ミーチャム (シルヴィオ)
言語:イタリア語

南イタリアの空が目撃した芝居一座の愛憎!溺愛した妻に裏切られた道化師の苦しみに、道化芝居が火をつける!シーズンを締めくくるのは、《カヴァレリア》と同じくオペラ史を変えたレオンカヴァッロの傑作。現代最高のドラマティック・テノール、M・アルヴァレスが歌う〈衣装をつけろ〉は必聴!P・ラセット演じる奔放な妻、G・ギャグニッザが歌う悪役も理想的だ。人間の本能に迫った究極のオペラが、今、あなたの人生を変える。

19世紀後半、南イタリアのある村。道化師のカニオ率いる旅回りの芝居一座が到着し、今夜の芝居の宣伝を始める。

一座の花形は、カニオの妻で女優のネッダ。だが独占欲の強い年上の夫に飽きていたネッダは、新しい恋人を作っていた。ネッダに横恋慕する一座のトニオは、ネッダと恋人との逢い引きの現場をカニオに通報。憤激を抑えて芝居の準備にかかるカニオだが、次第に芝居の内容と現実との区別がつかなくなり・・・。

「旅芝居一座」が背景というのがイイでしょう。まさに私の関心と一致しています。旅芝居一座の閉塞的空間。そこに閉じ込められた座長とその女房。耐えきれなくて飛び出そうとする女。イアーゴのようにその女を、そして座長を陥れようとする男。まるで旅芝居の狂言になりそうな舞台が展開する。これもある意味劇中劇の手法だろう。曲芸が俄仕立てのトラック上の舞台で演じられるのだが、その滑稽な軽やかさと現実の男女関係の重さとが対比される。

最後にはそれが悲劇へと収斂する。他に解決の道がなかったから。哀しい結末だけど、なにがしかのカタルシスがある。それも旅芝居の狂言の特徴でもある。原作もそうだけど、演出もそこをみごとに描いていた。

歌手では先ほども書いたようにネッダのパトリシア・ラセットが良かったのだが、トニオ役のバリトン、ジョージ・ギャグニッザも秀逸だった。私としてはテナーよりもバリトンを主役にして欲しい。「ナイト」より「キング」が上でしょ、当然。もちろんそれは無理な相談だけど。その点ではイタリアオペラよりドイツ歌曲の方がずっと「大人」だと思う。勝手な個人的感想ですが。