yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『天一坊大岡政談(てんいちぼうおおおかせいだん)』團菊祭五月大歌舞伎@歌舞伎座5月19日昼の部

以下、「歌舞伎美人」から。

<構成>
序 幕 紀州平野村お三住居の場
    紀州加太の浦の場
二幕目 美濃国長洞常楽院本堂の場
三幕目 奉行屋敷内広書院の場
四幕目 大岡邸奥の間の場
大 詰 大岡役宅奥殿の場


<配役>
大岡越前守:菊五郎
池田大助:松 緑
山内伊賀亮:海老蔵
お三:萬次郎
赤川大膳:秀 調
平石治右衛門:権十郎
下男久助:亀三郎
嫡子忠右衛門:萬太郎
お霜 :米 吉
伊賀亮女房おさみ:宗之助
吉田三五郎:市 蔵
藤井左京:右之助
名主甚右衛門:家 橘
僧天忠:團 蔵
天一坊:菊之助
大岡妻小沢:時 蔵


<みどころ>
◆ 将軍ご落胤の正体を暴く名奉行の裁き
 紀州平野村に住む老婆お三の孫が、実は八代将軍徳川吉宗の子だと知った坊主の法澤は、一計をめぐらし、老婆を手にかけ、村を出て行きます。美濃国にある常楽院の住職の手引きにより山内伊賀亮と出会い、味方に引き入れた法澤は、名前を天一坊と改め、吉宗のご落胤として江戸に姿を現します。この天一坊の素性を明らかにするため名奉行として知られる大岡越前守が吟味しますが、天一坊の正体は一向に明らかになりません。窮地に立たされた越前守は妻小沢とともに切腹を決意するところに、越前守の家臣池田大助が駆けつけ…。
 享保年間にあった天一坊事件を題材にし、講談を脚色したこの作品は、大岡越前守が天一坊の計略を見事に裁くのが見どころのひとつです。緊迫した展開の舞台をご堪能ください。

通しだったので、見応えがあった。この狂言との組み合わせが『摂州合邦辻』の「合邦庵室の場」だったのだが、いずれも菊之助が主演。最近の菊之助に勢いが感じられないように思っていたので、そんなに期待をしていなかった。でもそれは、まったくの杞憂だった。「合邦」の玉手に完膚なきまでに打ちのめされた。絶品だった。それも先達のものを踏襲した以上に、新しさを出していたところが、すばらしかった。その後でこの『天一坊』である。間に35分間の休憩があったとはいえ、気持ちの切り替えが大変だろう。あの氷の冷たさがヘンに艶っぽい玉手から、このずる賢い坊主への変貌は、一見の価値があった。もちろん菊之助を支えた菊五郎、そして海老蔵の力演があったからだけど。これ以上ないほどのそれぞれのニンにあった組み合わせ、今月の「出血大サービス」。

菊之助の立ちは記憶には残っていなかった。だから今回もあまりニンではないのかと危惧したけれど、とんでもない。ぴたりとはまっていた。所化坊主がひょんな偶然から悪党に変貌するというのは、『十六夜清心』の清心を連想させるけど、天一坊の方は、清心のような「世話物」の悪党ではなく、天下の政道に挑んだという点でもっとスケールが大きい悪党といえるかもしれない。逆にいえば、かなり難しい役どころ。焦点の合わせ方を間違えると、薄っぺらく、安っぽくなってしまうから。菊之助=天一坊は「将軍ご落胤」にみえなくもない品の良さと鷹揚さを出していて秀逸だった。品の良さの奥に非情さを隠しているわけで、それがまるで虫けらのように、いままで世話になっていたお三を殺すというところに如実に顕れている。

二重人格の法澤(天一坊)をいともあっさりと(!)、淡々と演じる菊之助。『合邦』の玉手もそうだけど、この人は裏のある、言い換えれば肚のある役を、誇張とか「思い入れ」などを一切しないで演じれる役者なんだと、あらためて思い知った。役を理解していないのではなく、理解しているからこそ、このように演じれる。こういうところがすぐれて近代的な役者。まるでイギリスの舞台俳優のよう。「抑えた演技」というのでもない、ホント淡々。だからこそ、こういう悪党を演じると底知れない不気味さを醸し出せる。その不気味さがまるで自然体なのが、秀逸。想像するに、実際の彼とはまったく違った(当然ですが)人格のワルを、ここまで軽やかに演じれるとは。その意味では「歌舞伎的」ではないんですよね。海老蔵が歌舞伎以外のジャンルを演っても、やっぱり「カブキ」になっているのとは、対照的。

海老蔵はここではワキに回っていた。ワキといっても重要な役どころ。法澤が贋ものと知りつつ彼と結託、天下を向こうに回して大芝居を打つんですからね。この二人のワルが天下をてんてこ舞いさせるなんて、まるで菊之助/海老蔵のユニットが、菊五郎という旧世代に対抗しているようだった。團菊祭が新しい世代にバトンタッチされたことを象徴的に表していたのかも。読み込み過ぎでしょうか。

この狂言を観たのはこれが初めてだったのだが、それぞれの役者がニンにあった配置をされていて、それが芝居を見応えのあるものにしていた。私の偏愛的な思い入れはもちろん米吉。この人、どんな役でもイイカゲンに済ませることをしない。ここでのお霜も良かった。可愛かった。こんなにちょろっとしか登場しなくても、しっかりと存在感のある演技で印象に残った。

お三役の萬次郎も良かった。昔気質の女。自分の身の程がわかっている苦労人。化粧があまりにも田舎の老婆風だったので、最初萬次郎とは気づかなかった。出しゃばらず、きちんとはまった役を演じれるのはさすがだった。

前に出過ぎないという点では、菊五郎も見直した。一応彼が「主役」なのかもしれないが、駒になるのは菊之助の演じる法澤である。そして法澤とつるんだ海老蔵演じる伊賀亮である。この二人を最大限活かすよう、徹底してサポート役に回っていたように思えた。それは越前女房を演じた時蔵にもいえた。