yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『らくだ』劇団昴星(大和みずほ座長)@明生座 5月23日昼の部

『らくだ』、もちろんもとは落語。大衆演劇では一度観ている。歌舞伎では故十七代勘三郎のものが有名だけど、見逃している。

この『らくだ』、とても良かった。最初「入り」がもうひとつと心配していたら、第三部から来た人もいて、一応大入りになった。芝居好きな人も大勢入るはずで、ましてや上方落語の『らくだ』が出し物となれば、もっと見に来る人がいたんではないでしょうか。

おなじみの筋書。ふぐ毒に当たって死んでしまった馬こと(あだ名が)らくだという男(拓矢?)。生きているときにはとんでもない嫌われ者。家賃は踏み倒す、ものを買っても金を払わない、屑屋に売りつけるのは値打ちのない品物と言った具合なので、当然。その男の長屋に彼が死ぬ前の晩一緒にふぐを食べた男、半七(落語だと半次、あるいは熊五郎)がやって来て、馬が死んでいるので驚く。

この半七(一也)なんとか葬式をだしてやりたいと考えたのだが、金がない。金策を思案しているところに、屑屋の久六(みずほ)が通りかかる。らくだの家財を売りたいという平七に対し、今までさんざんらくだにインチキなものを掴まされて来た久六は、断固断る。すると平七は家主のところへ行き、香典をもらって来いという。家主が首を縦に振る筈はないと断る久六。でも屑籠を平七に取り上げられ、しぶしぶ出かける。

長屋の家主(信之)は吝嗇で評判。「らくだのために香典を」という久六に、らくだが家賃を踏み倒して何年にもなると、けんもほろろ。大家の女房に龍さん。これケッサクでした。ここで、久六は半七から伝授された脅しをやってみせる。「死骸のやり場に困っております。ここへ背負ってきますから、どうか面倒を見てやってください。ついでに『かんかん踊り』を踊らせてご覧にいれます」(これはWikiから拝借)。この脅しにも動じず、「やれるものならやってみろ」というしたたかな家主。

すごすごと帰ってきた久六に、「それなら、やってやろうじゃないか」と半七。厭がる久六の背に死人を負わせ、家主宅へ押し入る。久六から死人を抱きとり、死人を背後から抱えて「カンカン踊り」を踊らせる。さしもの家主も観念。香典を出す。図に乗って、葬式の煮しめと酒を用意しろと言う半七。仕方なく、家主は後で届けるという。

久六の背に再び死人を負わせ、長屋に帰り着いた半七。戦果に味を占めている。家主宅から酒を届けに来た下僕(倫太郎?)に、酒をもっと持ってくるようにと催促する。

二人の酒盛りが始まる。ここで立場の逆転が。半七に命令されるままに動いて来た久六が豹変。どうも酒癖が悪いらしい。最初は酒を勧めた半七だが、やがてエラソウにする久六を持て余す。でも、すでに後の祭り。くだを巻き、いいたい放題の久六の勢いは、エスカレートするばかり。

みずほ座長とお兄さまの一也さんの絶妙の阿吽の呼吸を確認することができた。伍代孝雄劇団の頃、このお二人の「阿吽の呼吸」には感心したものである。中でも『二人弁天』が秀逸だった。このお二人でなくては出せない味があった。一也さんが辞められてからは、足が遠のいたのも、それが理由の一つ。

この『らくだ』では、一也さんの江戸弁が完璧だった。いなせでカッコ良かった。嬉々として演じておられるのがよく分かった。やっぱり芝居がお好きなんですね。対するみずほ座長。ここはいちばんお兄様に華を持たせられたのだと思う。間抜けな久六というには、ちょっとニンが違うような気がしたんですけどね。もっとシャープな感じの方なので。でも最後の「豹変」の場面はとても面白かった。説得力があった。