yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「WASABEATS 」大阪公演@シアターBRAVA!5月3日

このグループの公演を初めて観た。ダンスとは分かっていたのだけど、これほど「カゲキ」とは想像していなかったので、かなり衝撃を受けた。休憩なしの2時間びっしりだったけど、退屈することなく、舞台に釘付け状態に終始した。

「チケットぴあ」の紹介サイトから。

世界一のタイトルをとったダンサー達が集結した“WASABEATS CREW”が更なる高みを目指して、新たなるパフォーマンスショーをお届けします!

[演出・構成]植木豪 [出演]千葉涼平 / 平間壮一 / 内海貴司 / 大野愛地 / 皆川まゆむ / 吉浜愛梨 / Na☆ / NAO / HILOMU / TAKAHIRO / AKI / 植木豪

12名のダンサーたちがところせましと動き回るのだが、その演出は植木豪 さんと平間壮一さんの二人だったよう。以下にこれを見た方(ご本人もおそらくダンス関係者)のブログ記事があり、それがほぼこのショウの大枠を伝えているので、引用させていただく。『来て、見て、書いた』さんのブログである。ありがとうございます。

多種多様なダンスで描き出される物語は、とにかく楽しかったです…!
天才気質で技に優れた平間君のキャラクターと、落第生だが友情にあつい千葉君のキャラクター。二人の相反するキャラクターが、忍びの世界の中で離れたり、再度手を取ったりする。プロット自体はシンプルですが、そこにハイレベルな、ダンスという表現手段が入ると、純粋に没頭して見てしまいます。二人が行なうダンスっぽい殺陣も格好良かったです。

鏡に見立てた枠の向こうで、平間君達の動きを鏡像として模すダンスがすごかった。比較的遠い席から見ていたのもあるのですが、見ているうちに、脳みそがただの穴の空いた枠を鏡と認識し初め、角度や状況によって、鏡像ダンサーが見えないことに、疑問を感じたりしていました。しかも、その時の平間君達の衣装が、身体のラインは見えないものなのですが、デザイン自体は左右非対称で…鏡像ダンサーさんの服も、きちんと鏡像として反転されたものになっていたことに、芸の細かさを感じました。

あと、プロジェクションマッピングが本当に丁寧に扱われていたのも素晴らしかった! ダンサーさんの動きに合わせて、光球が飛んだり、しぶきが上がったり…。側転で回転するつま先から、カラフルな色彩が零れ出すのが美しかったです。

アフタートークで、音楽から振り付けをする→その動きに合わせた映像を作る→小屋入りしてから更に立ち位置を合わせる、という丹念な作業をされていたと知り、職人芸に震えました。音楽と映像、そしてダンスが完全に一致しなければ、それだけで破綻してしまう演出を、果敢に、そして緻密に創り上げたWASABEATS CREWに感動します。

個人的に、舞台の「生身の人間が行なうという身体性」が好きです。大きくても200cm×50cm×50cmの中に収まる中にある、何十年の経験と感情を伴った肉体は、どんな物よりも大きな情報量と熱量を帯びている。そしてそれが、発声や運動によって主張を開始する時に現れる、不思議な存在感。それはどんなに書き込まれた戯曲よりも雄弁で、美しい。

ダンスで物語を描き出すWASABEATSは、身体性の美しさを強く感じさせてくれる、素晴らしい作品でした。

たしかに身体の動きの美しさに極限まで挑戦したパフォーマンスだった。私はこういう方面に疎いので、誤解だったら申し訳ないのだけど、印象としてはアクロバットにプロレス、サーカスの空中芸、ディスコダンス、ブレイクダンス、ラップ、剣戟などを縦横無尽に組み合わせ、それをゲームの架空空間に埋め込んだ作品といった様相。

人気ダンスグループ、たとえばEXILE等の動きとも似ているのだけど、そこに思想というか、ストーリーというか、なにか軸になるようなものを持ち込んでいる(持ち込もうとしている)ところが、それらとは違っている?ただそういう軸も次から次へとめまぐるしく変遷して行くパフォーミングの渦に呑み込まれ、結局は完全に無効化というか虚無化させられている。こんなにも濃いダンスの数々を見せられているのに、おわってみると何も残らない。中心に収斂させられず、あくまでも拡散しつづけているから。

コンピューターゲームの中で、出て来る対抗者を倒しても、また新しい対抗者が出て来て、それが際限なく続く。そんな感じがした。終わりがない。それが可能になるのは、デジタル世界のことだから。所詮は虚無(虚構)中でのこと。その意味で、すぐれてfuturistic。「電脳」の中に終始し、そこには何の意味も求められない。求めてはいけない?

唯一この舞台で何かの意味を示しているものがあったとしたら、それは背景だろう。お城で始まり、お城で終わる。ただ、その間は大都会の高層ビルの林立する背景がCGで映し出される。お城ももちろんCGである。ただ最後の場面ではその城の中に入って入ると思わせる場面もあったので、やっぱり「忍び」が全体を統括するイメージをもたされていたのかも。二つの勢力の闘いがあり、そこに忍びが暗躍しているといったような。ゲームにこの類いのものが多いんだろうと想像している。そういう闘いって、おそらく善/悪の決済、つまり「物語」は限りなく(デリダ流にいえば)遅延されるんでしょうね。

ただ、決済を求めるのが人間の心理。あまりに無機的な世界に向き合わされると、虚しくなる。私が感じた「不満」といえば、そこかも。でもこういう迷路に迷い込んでみるのも、そこそこ面白かったんですけどね。でも最初のシーンでは、思わずアニメ作品の『アキラ』を思いだしてしまった。『アキラ』の方が意味付けがあるていどできる(?)点で「有機的」ではあったけど。

引用させていただいた記事、『来て、見て、書いた』にもあったように、CGを駆使し、生身の身体とのコラボに極限まで挑戦したのは、圧巻だったし、まだ感動的だった。

それと照明!こちらも極限に挑戦。私は二階席後方だったので、どの方向からライトが来るのかが一目瞭然だった。こちらにも圧倒された。ここまですごいのは初めて。