yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

坂東三津五郎丈の訃報

あまりにも早すぎる死。二年前に亡くなった勘三郎の後を追ってしまったよう。若すぎる。彼の折り目正しい、それでいて江戸前の粋な芸は他の役者ではなかなかみれない。外すところでは絶妙に外してみせる。この間の取り方の妙は、勘三郎にも共通していた。あの間の取り方も生来のものというより、後天的に学習したものなんだと思う。勘三郎がどちらかというと「派手な」芸だったのに比べると、三津五郎のはもっとトーンダウンしたものだった。でもそこに味わいがあったんですよね。『牡丹燈籠』の馬子役なんて、それをみごとに具現化していた。

これが彼を観た最後になってしまったけど、去年八月歌舞伎座での『たぬき』の金兵衛という役にもそれは如実に出ていた。これは亡き盟友、勘三郎の追善公演でもあった。勘九郎、七之助と組んで、楽しくて仕方ないというそんな彼の気持ちがありありと伝わってきて、胸が熱くなった。

江戸落語の精神がそのまま芝居になったような、そんな洒脱さを出せるのも、三津五郎ならではだっただろう。いささかトーンが暗めだったのは、彼が病み上がりだったからかもしれない。まるで諦観しているような、その暗さが不条理劇顔負けの不条理性を際立たせていた。その不条理性も西欧風の底なしの暗く、救いのないものではなく、どこか可笑し味のある、諧謔精神に彩られたものだった。まさに江戸文学の世界。「人っていうのは、どういい格好つけようと、所詮この程度のものなんですよ」と、いっているような気がした。真剣に真正面からその不条理と対決するのではなく、どこか外した目で自身と事象をみる姿勢というのか。それが日本的な「愛」のココロなのかもしれないと、そんなことを考えながら芝居をみていた。「私自身にもっとも欠けている精神だな」なんて思いつつ。

私が歌舞伎をみるきっかけを作ってくれた恩人でもある。歌舞伎とは縁がないと思っていたのに、彼と時蔵の『牡丹燈籠』をみて、魅了された。忘れられない体験だった。西洋演劇の先取りをしているようなその芝居に、「歌舞伎は新しい」のだと実感させられた。小劇場の青臭さが到底敵わない奥の深さに驚嘆したのが、まるで昨日のことのよう。それからは憑かれたように毎月歌舞伎座通いをした。もちろん京都南座や大阪中座に歌舞伎が乗る時はほとんど観た。アメリカの大学院では「三島歌舞伎」をテーマにしようと考えついたのも、こういう体験があったから。

あの世ではきっと先に行ってしまった勘三郎と、日がな毎日芝居談義をしているに違いない。こちらに残された人間は彼を偲んで泣いているけど、彼はあちらでも寂しくはないだろう。そういう二人の様子を想像して、気持ちを晴らすしかない。

子息の巳之助はお父様とは違った芸風だけど、諧謔精神に富んでいるところは良く似ているように思う。ここ二年弱の間に見聞する機会があったこの人の踊りの確かさ、上手さ!それには感嘆した。もちろん芝居もどこかひょうきんさを出す役ははまり役。真面目な役もそつなくこなし、これにも感心した。来月は京都南座に彼を含めた若手七人の「花形歌舞伎」がかかる。三回行くつもりで、チケットも確保した。花形歌舞伎のリーダー的存在の松也も父を早く亡くしている。仲間がいることが、今の巳之助に大きな支えとなるに違いない。