yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三島由紀夫が歌舞伎十八番を演出するとしたら『文芸別册増補新版 三島由紀夫』(河出書房新社2012年)

増補新版 三島由紀夫(文藝別冊/KAWADE夢ムック)

増補新版 三島由紀夫(文藝別冊/KAWADE夢ムック)

この中の中村歌右衛門(六世)との対談(昭和31年=1956年)の中での彼のことばが興味深い。三島曰く、「(現代語の歌舞伎)大嫌い。聞いただけでゾーとする」。でもそれは必ずしも「近代化」を拒んでいる訳ではない。次のように続けているから。「この間シティ・バレー [おそらくニューヨーク・シティ・バレエ NCB] を観ていて、フッと感じたんだ。現代語歌舞伎ではなくて、歌舞伎の近代化というのを一度位はやってみたいな。例えば「鳴神」なんかの十八番物で、思い切って近代的な舞台装置、近代的な照明を全部使ってみたらどうかなって。あんた(歌右衛門丈)「道成寺」を映画に撮ったでしょう。ああいう場合、普通の書いた桜じゃなくて、桜の立ち木を作って、植えたろうし、なにかリアルな装置の中で歌舞伎をやってみたら、面白いと思うな。グロテスクな隈を取った人物と、グロテスクな衣裳の人物が、全然リアルな装置の中で動いたら、面白いだろうね」。

この発案、先日(1月)歌舞伎座でみた玉三郎の「蜘蛛の拍子舞」を、そして海老蔵の「はなさかじいさん」を連想させた。欧米の今のモダン・バレエの挑戦をみたら、三島がナンて言うだろうなんて、考えてしまった。とくにパリ・オペラ座のバレエ。リアルな装置もアブストラクトな装置も効果的に使われているから。

彼は続けて曰く、「今みたいな十八番めかした装置でなくて、グッとリアルにしたら、案外面白いと思うんだ。そのためには歌舞伎の設備(当時の歌舞伎座)では不足で、あれじゃ、近代的照明は十分出来ないし、本当にリアルな装置も組めないけれど....。『天守物語』などああいうものだが、あの道具はかなりリアルでしょう」。これはまさに新歌舞伎座での玉三郎の『天守物語』で実現している。それに玉三郎演出の昨年12月歌舞伎座での『幻武蔵』での装置を思わせた。歌右衛門との対談での三島のアイデアが、奇しくも玉三郎によって実現するとは。伝統が連綿と続いている中で、鬼才/天才によって実験的試みが実現することを知らしめるもの。

歌右衛門が泉鏡花の三部作、『天守物語』、『夜叉ヶ池』、『海神別荘』に出ていたのを、この対談で初めて知った。この点でも玉三郎は歌右衛門の、そしてあえていえば三島由紀夫の「後継者」ということになるかもしれない。