yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

玉三郎と仁左衛門を語る勘九郎(勘三郎)in 『歌舞伎ッタ!』(アスペクト出版、1999年)

何度読み返しても、どこを開いても面白い。私にとっては役者サイドからみた歌舞伎、もっと大袈裟にいえば「演劇とは何か」を教えてくれるバイブルのような本。去年3月、ブックオフで手に入れた中古本。彼が久世光彦野田秀樹たちと新しい歌舞伎を模索、上演する過程を知るのも、もちろんめっぽう面白いけれど、それ以上に彼の仲良し役者との交流を描いた「ブラボーな役者たち」の章がすばらしい。その中でもとくに玉三郎と孝夫(現仁左衛門)との関係には泣ける。これを読んで、玉三郎仁左衛門がよりダーイスキになった。と同時に、ご両人とも、勘三郎を亡くした喪失感はハンパないだろうと想像がつき、胸が痛む。

『鰯賣戀曳網』でのこと。彼が鰯売りの猿源氏役だったのだが、蛍火役の玉三郎は毎日違う玉を投げて来る。千秋楽でもそう。勘九郎、「面白かったねぇ。ああ、この人は生涯役者だなと思ったよ」。

仁左衛門玉三郎と『加賀見山旧錦絵』をやったときのこと。仁左衛門が岩藤、岩藤に苛められる尾上が玉三郎勘九郎がお初役だった(これって、まさに垂涎もののこれ以上ない配役ですよね。観たかった!)。このなかよし三人は楽屋を頻繁に行き来をしていた。玉三郎は厳しい人なので、めったに褒めない。玉三郎氏、勘九郎の楽屋だけではなく、仁左衛門の楽屋でも(批判的なことを)よくしゃべる。挙げ句の果てにブツブツ曰く、「アタシはどこへ行っても煩がられるんだから!」。それとなくその場の雰囲気を彷彿とさせて、おかしいでしょ?勘九郎ばらして曰く、玉三郎は普段はせっかちでちゃきちゃきしていて、長屋のおかみさんみたいだそう。なにかホンワカしますよね。

この岩藤役の仁左衛門丈。ある日浮かぬ顔で「飲みに行こうや」という。「どうしたの、お兄ちゃん」と聞いたら、「ワシなぁ、岩藤であんたのお初に頭叩かれて、死んだらお客さんにワーッて拍手される。もうアカン」と嘆いたそうな。勘九郎はその仁左衛門と夜中の三時まで飲みあかしたという。心優しい仁左衛門、そして勘九郎

仁左衛門玉三郎と『刺青奇偶』をやったときのこと(これも観たかった!幸運にも、2008年に歌舞伎座に乗ったものが「シネマ歌舞伎」に入っている。今月9日に観に行く予定をしていたのに、インフルエンザで行けなかった)。玉三郎のお仲、勘三郎の半太郎、仁左衛門の鮫の政五郎という配役。で、玉三郎、再演時にはまったく演じ方を変えていたのだとか。シネマになっているのは変えた後の方。玉三郎の飽くなき研究心が偲ばれるエピソード。

そして勘九郎曰く、「それからねぇ、最後に出て来る仁左衛門!この鮫の政五郎親分がまたいいんだよ。この親分、半太郎と命がけの骰子勝負をするカッコいい人なのだが、仁左衛門が「ワシなぁ、この役引き受けたけど、下手やでぇ」って言ったそう。「そしたら下手どころの騒ぎじゃないの!ハートがあるからさぁ」と、仁左衛門に参った勘九郎

この二人との密な関係。舞台裏でも毎日三人で互いの楽屋を行き来して遊んでいたという。もちろん、芝居の話をして。勘九郎、感に堪えないように、「ホント、あのふたりとやるのは楽しいんだ。三人でチーム作っちゃおうかな。そしたらどんな芝居だってできる気がするんだよ」。

この二人はまさに「特別なふたり」。普段から仲がいいし、芝居やっても楽しいと勘九郎は云う。「ふたりと出るときは、何がなんでも共演したい」のだと。だから仁左衛門の襲名興行のときには「寺子屋」の涎くり役で出たのだそう。そしたら、夜中の一時半に当の仁左衛門から電話があって、「あんた、ホンマに出てくれんのかいなぁ?三日限りの勉強会とは違うんやでぇ。二十五日間、ホンマに出てくれんのかいなぁ?」と。もちろんそれでも出ると返事をした勘九郎仁左衛門が、「ありがとう、おおきに」と言ったそうな。心温まる話。

それにしても勘九郎が涎くりとは!先日彼の甥っ子(橋之助の子息)の国生が涎くりをしたけれど、超若手の役。勘九郎も「よーやるわ」。エライ!

こういうエピソードが一杯詰まったこの芸談集。今までよんだ芸談集のなかでも最も面白い。そして感動的。