yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「黒塚(くろづか)猿翁十種の内」in 壽初春大歌舞伎@歌舞伎座1月3日夜の部

以下、「歌舞伎美人」よりお借りした。

<配役>
   
老女岩手実は安達原の鬼女 猿之助
山伏大和坊 門之助
力太郎吾 寿 猿
山伏讃岐坊 男女蔵
阿闍梨祐慶 勘九郎

<みどころ>
自らの罪業に苦しむ老女が現す本性
芒(すすき)の生い茂る奥州安達原。日が暮れる中、諸国行脚の途中の阿闍梨祐慶一行は、岩手という老女の家に一夜の宿を請います。糸繰り唄を唄い、一行をもてなす岩手は、自らの不幸な身の上を語り始めると、祐慶の言葉に心が救われます。岩手は一行に奥の一間を決して見てはならないと忠告し、薪を取りに出かけます。しかし、強力(ごうりき)が一間を覗いたと知った岩手は豹変、安達原の鬼女の本性を現し、祐慶たちに襲いかかり…。

古典の中に近代の技法を取り入れた舞踊劇にご期待ください。

以前に観た折(2013年12月23日於南座)と大幅に変わっていたのが、セット。抽象度がいや増していた。幽玄の世界に否応なく誘われた。幽玄は幽玄でもどこか華やかさを残す幽玄。暗いばかりでないのが、美しい月明りとそれに照らされたすすき野で示される。それはこの老女がかって纏っていた美しい女の残影だったのかもしれない。能に出て来る老女はあくまでもその老醜と奇怪さとが際立たされているけれど、猿之助の岩手は、彼女の若かりし頃の華やぎを仄のみせる点で、ずっとリアルである。フィクショナルな岩手像というよりも、もっと実際の女としての岩手が描出されている。ここが以前にみた『黒塚』での猿之助本人の表現法と違っていたところ。

猿之助、以前より進化(深化)した岩手像を出していた。リアルな女を感じさせることで、岩手の悲劇が見えてくる。鬼女にならざるを得なかったストーリーが浮かび上がる。限りなく哀しい。でも視る側がそれに同化するのを拒む。ここがいちばん好きなところ。この距離感、秀逸!

この距離感に猿之助の哲学が余すことなく表現されている。このひと、やっぱりタダモノではない。こんな哲学的舞台、誰が考えます。ライバルは玉三郎くらいだろう。この二人は宇宙人。でも宇宙人が歌舞伎にいてくれて、ヨカッタ!

猿之助の演技が生きたのはやっぱり勘九郎阿闍梨祐慶がいたからだろう。勘九郎の客観性が光っていた。お父上とはまったく違った素質を持った人だと分かる。願わくば、それをより伸ばし、独自の境地を拓いて行って欲しい。