yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』@国立文楽劇場1月14日昼の部

杉坂墓所の段/毛谷村の段の二段が演じられた。

主たる大夫、三味線、人形遣いは以下。

「杉坂墓所の段」
大夫   
六助   松香大
弾正   津国大夫
佐五平  南都大夫

「毛谷村の段」
中語り  咲甫大夫
三味線  清介

切語り  咲大夫
三味線  燕三

人形
六助   玉女
弾正   玉輝
(実は京極内匠)
お幸   紋壽
お園   和生

歌舞伎では「毛谷村」の段だけ2013年正月の新春浅草歌舞伎で観ているが、あまり印象に残っていない。愛之助主演だった。なぜか、このブログ記事にもしていない。この段だけみても面白くもなんともないということが、今回の文楽公演の二段を観て、理解できた。以前にも引用させていただいた「歌舞伎辞典的なサイト」からそのおおまかなプロットを拝借する。それが以下。

【あらすじ】
長州藩の武芸師範をしていた吉岡一味斎(いちみさい)は試合の遺恨により、京極内匠(たくみ)に闇討ちされて殺されてしまう。敵討を許された妻と娘達が内匠を追うが、妹娘のお菊は無残にも返り討ちにあってしまう。

が、お菊の子弥三松(やさまつ)は難を逃れ、毛谷村に住む六助に拾われる。その六助、百姓ながら武芸にすぐれ、実は一味斎から極意を授けられた腕前なのだ。なんと小倉藩は、六助と試合をして勝った者を五百石で召し抱える、と高札を立てた。・・・という話が本来あって、「毛谷村」がはじまります。

六助の家に小倉藩から立会人が来て、これから剣術の試合が行われることろ。相手は微塵弾正と名乗る男。実は六助、先日この男から、命に限りある母親に安楽な暮らしをさせたいから試合に負けてくれと頼まれていた。母親をなくしたばかりの六助は、男の孝行心を真に受け、試合に負けてやった。

が、弾正は仕官が決まるや、扇で六助の眉間を割るといった恩を仇で返すような仕打ちに出た。が、六助は静かに見送るのだった。そこへ一夜の宿を乞う老女がやって来て「わしを親にせぬか」などと言い出すのを六助は鷹揚に受け答えして、奥の一間で休んでもらうことにする。

ところで、六助は身元のわからぬ弥三松の着物を外の物干しにかけていたのだが、それに目をとめた虚無僧が来て「家来の敵」と六助に斬りかかってきた。剣術の達者な虚無僧は、なんと女だった。

その顔を見て「おばさまか」とすがりついたのは弥三松。そこで六助が弥三松を預かることになったいきさつを話し、名を名乗ると、女は急にしおらしくなって(ここ笑えます。すがりついてた弥三松を落とすんだもん。笑)、「あたしゃ、お前の女房じゃ」と言い出すから、六助は面食らう(そりゃそーだ。笑)。さらに話を聞けば、女は一味斎の姉娘のお園だった。

師のあえない最期を聞かされ、ふたりして嘆きあっていると、奥から最前の老女。なんと老女は一味斎の妻でお園の母親のお幸だった。お幸は、お園と六助に祝言させると、一味斎の形見の刀を六助に与える。

と、そこへ、近在の斧右衛門が、殺された母親の敵を討ってくれと頼みに来る。運び込まれた死骸を見れば、弾正の母親と言って紹介された老女ではないか!それが実は斧右衛門の母親だったとは・・・! はかられた!と悔しがる六助。「その男こそ一味斎の敵、京極内匠に違いない」と言うお幸の言葉に、なおさら悔しさが募る。こうなったら師であり舅である一味斎の敵を討つしかない!と、六助たちは勇んで出かけていくのだった。

この二段、実に面白い。今までの文楽公演では感じたことのないワクワク感を感じた。どんでん返しもそうだけど、なによりも剣術の名手が女性だというのがいい。池波正太郎の時代小説、『剣客商売』に出て来る女剣客、佐々木三冬を思わせる。もっとも、『剣客商売』の方が後だけど。お園が六助の前で急にしおらしくなるように、三冬も小説の主人公秋山小兵衛の息子、大治郎の前では女らしくなるのも共通している。

引用させていただいたサイトによると、「天明六年(1786年)、人形浄瑠璃で初演。作者は、梅野下風、近松保蔵」。この後、歌舞伎にアダプトされたんですね。当時、「怪力女」が流行していたとのこと。

幕間で客たちが口々に「面白かった」と言い合っていたのが印象的だった。私も同感。出演する大夫の数も人形遣いの数も今までみてきた文楽の演目の中で最も多かったように思う。新人も何人も出ていた。でも未熟さが目立つということはまったくなく、全員が心を合わせて一つの舞台を作っているという喜びがひしひしと伝わって来た。観ておいて良かった。