yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)」in 「新春浅草歌舞伎」@浅草公会堂1月2日第一部

以下松竹の「歌舞伎美人」からの転載。

<配役>
曽我五郎:尾上 松也
静御前:中村 児太郎
曽我十郎:中村 隼人


<みどころ>
曽我兄弟を題材とした舞踊の中では最古の作品といわれています。正月行事を描いた華やかな一幕です。

正月三ヶ日、大衆演劇では「三番叟」を舞う。毎年、色々な劇団のものを観てきた。歌舞伎では去年の6月に猿之助の「太閤三番叟」を観たきり。番附によると江戸歌舞伎では新年の初芝居は「曾我狂言」の上演が吉例だったという。この「春調娘七種」は現存する曾我もの舞踊の内で最古といわれているらしい。

幕があがると、新年に相応しい華やかな背景の舞台が。そこに登場した五郎と十郎。この五郎さん、派手な化粧の上、身体全体に綿を詰め込んでいる(?)ので声を聞くまで松也と分からず。対する十郎はやさ男。隼人がその初々しさを目いっぱい表現している。静御前の児太郎も最近みないうちにかなり腕を上げている。でもなぜ江戸時代に静御前なの?なんて堅いことは言いっこなし。曾我もの自体が荒唐無稽なお話なんですからね。あくまでも新年の華やぎを、そして江戸歌舞伎の格好よさを味わうものなんですから。

松也が五郎を演じたのは、おそらく一昨年(2013)1月の「新春浅草歌舞伎」中の「寿曽我対面」以来。このときの十郎は壱太郎だった。隼人も壱太郎も十郎のニンにはぴったり。このときの工藤祐経は海老蔵という豪華版だった。海老蔵、普通なら五郎をやっていたんでしょうが。若手に華をもたせたんでしょう。松也はこういう立ちがやりたくてしょうがないんだと思う。こちらの勝手な推測ですが。しかも今年は彼が座頭で指揮をとれる。彼なりの解釈をある程度共有できる若手たちが演じる。古い歌舞伎を「古典」として押し付けて来る大御所もいない。のびのびと演じているのがよく分かった。

隼人もまだ自身の個性を打ち出すところまではいっていないようだけど、こういう若手間の交流を通し揉まれることで、必然的に自分の型をつかみとってゆくだろう。そういう柔軟さを感じた。

児太郎は以前にかなりがっかりした覚えがあるけど、今回は化粧が上手くなったのか、お父上の福助に似ていた。じゅうぶんにかわいいお姫様。これはかなりの進歩。お父上が歌右衛門を継ぐことになるから、彼も福助を近いうちに継ぐのだろう。伝統は重すぎる程のしかかっているはずだけど、それを圧力としてでなく挑戦として捉え、がんばって欲しい。