yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

飛龍劇団圧巻の「水龍太鼓」と人情劇『花街の灯火』近江飛龍劇団@京橋羅い舞座4月26日昼の部

本邦で近江飛龍劇団のみだという「水龍太鼓」、とにかく圧巻だった!

この劇団は男っぽさ(masculinity)が特長なので、太鼓はその男っぽさを具現化するのに最適。とはいえ、飛龍さんは頭の中に出血を抱えたままの演奏。観ている側はひやひや、どきどきである。暴走して、また血管が切れたらと固唾を呑んで見守っていた。前に倒れたときも、この「水龍太鼓」の演奏中と聞けばなおさらである。でもありがたいことに、事なきを得た。

<お芝居>
この狂言、以前に関西系の劇団で観たことがある。でもこの飛龍版の方が、ずっとコメディタッチ度が高かった。飛龍さんがすごいと思うのは、このある意味手あかのついた人情劇を一旦括弧に括って、それからご自分のものとして呈示されるところ。そこには常に醒めた目があるけど、観客にはそれは分からない。分からないように演じてみせる。これはきわめて高度なテクニックというかスタンス。

以下におおざっぱなあらすじを。

芸妓をしているおさよ(あさり)は清次郎と恋仲になり、子供までできるが、清次郎(大和)は働いていた店の金を使い込んだ科で島流しなってしまう。そこへ彼女を身請けしようとする土地の親分(大輔)が現れる。芸妓の身である以上、身請けに応じなくてはならない。そこへ清次郎が務めを終えて帰ってくる。だが、おさよを抱える女将(美佳)は二人の仲を許さない。清次郎は追い返される。その折に赤ん坊を連れて行く。

そこへ彼女の故郷の河内から弟(飛龍)が訪ねて来る。八歳の子供の足でなんとか辿り着いたのだった。例によって藤山寛美ばりの座長。笑えます。でも女将から散々罵られる。この子供も負けてはいない。言い返す。ここでの応酬がオカシカッタ。おさよの芸妓、舞妓仲間(春之介、順一、天音)、板前(小寅丸)たちはみんなこの子とおさよに同情。帰って行く子供にお金やら寿司やらを与える。怒る女将。子供が帰った後、一人一人にねちねちとイジメをかける。

みんなが引っ込んだ後、清次郎が再び訪ねて来る。おもい余ったおさよに促され、子供を連れて二人でおさよの父のところへ身を隠すことにする。二人が出て行った後、気づいた女将と親分が二人を追う。

おさよの実家。父が子供から事情を聴いている。そこへ逃れて来たおさよと清治郎がやってくる。二人をかくまうが、追って来た女将に見つかったしまう。女将の脅しで、清次郎は赤ん坊を捨てるか手放すことに決める。がそれを聞いた八歳の子が嘆く。というのも彼自身が赤ん坊のとき捨てられた捨て子だったから。一心寺の門前に捨てられているところをおさよの父に拾われたのだった。その経緯を問わず語りに話すおさよの父。それを聞いていた女将の表情が変わる。ここからはご想像通り。女将こそ、八年前にこどもを捨てた本人だった。おさよの父が話し終わると、女将はおさよと清次郎に年季の証文を返し、まとまったお金を残して去って行く。