yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

J.S. バッハ/クリスマス・オラトリオ@カトリック夙川教会12月25日

昨日(もう日付が替わり一昨日)には東京の歌舞伎座で魂の震えるような感動の舞台を昼/夜と観て、今晩、今度は魂が温まるような歌曲が聴けたのは、いくら神様(!)に感謝しても感謝し足りない気がする。

延原武春さんのテレマン室内合奏団、合唱団の演奏だった。チラシをアップしておく。

延原さんのテレマンを聴くのはずいぶん久しぶり。しかも教会で聞くのは初めてだった。友人がいくつかのクリスマスコンサートをサジェストしてくれて、その中から選んだのだけど、大正解だった。夙川教会は以前夙川に住んでいた3年間の間に、2度一般公開されていたクリスマス礼拝に行ったことがある。三角屋根の天井の高い教会で、演奏そのものの印象よりかなり寒かった記憶があった。今日も重装備で出かけた。そこそこのキャパのある内部だけど、今晩は通路という通路が補助椅子で埋め尽くされていた。500人を超えているとおもわれる聴衆だった。友人と近くのレストランでおしゃべりをして行ったので、到着は15分前。もう最後列に補助椅子を持って来てみるしかなかった。でも逆に音響効果はこちらの方が良かったと思う。

オール・バッハのプログラム。構成は以下。

1. マニフィカトBWV243
2. クリスマス・オラトリオBWV248
 クリスマス第一日用
 クリスマス第二日用
 クリスマス第三日用

テレマンは専属の合唱団を持っていることを初めて知った。楽団と同じく粒ぞろいで、全員がソリストを務められる力量だった。今日のソリストでは「福音史家」(Evangelist)担当のバリトン(ちらしでは「バス」となっていた?)歌手が声に清澄さと深みとが同時にあって良かった。それとソプラノの歌手さん。楽団員は全体的に私が以前聴いたときよりも若返った印象。

やっぱりクリスマスはバッハでしょう。イエス誕生の経緯とそれを喜ぶ人たちの様子、そしてこの慶事への寿ぎの歌曲が一連になっている。もちろんそのシメは高らかに鳴るトランペット。バッハの「受難曲」系の曲ではこの最後のトランペットが特に好きなのだが、同意して下さる方が大勢いるに違いない。高らかに鳴るトランペットって、神様からの直の啓示のような気がしません?

間ではコラール部のいくつかが「マタイ受難曲」ととてもよく似ていた。とくにマタイの最初と最後に演奏されるコーラスと。そういえばテレマンの来年3月の夙川教会での演奏会が「ヨハネ受難曲」になっている。ヨハネはコンサートホールで聴いた(たぶん前の大阪フェスティバルホールでだった)けど、こちらはマタイとはかなり違っていた記憶がある。それらの受難曲と違い、今日聴いたオラトリオではキリストの受難・復活までではなく、あくまでもその誕生に終始する。それが救い。

今日のプログラム、実は第三部まであって、それがアンコールのクリスマス・キャロルだった。そして、「神のみ子は」、「きよしこのよる」と続いた。聴衆もそこに参加した。はるか昔の中・高時代に還ったかのような懐かしさだった!友人も神戸女学院中高部の同窓なので、二人でこのあと近所のショット・バーに行く流れになった。その前のレストランでのおしゃべりでは、ちょっとクセのあった「聖書」の先生の悪口(?)で盛り上がった。普段は忘れているのに、こういうときには鮮やかに甦る童心の(?!)日々。あのころ骨身にしみ込んだ体験、それも当時はあれほど反発したキリスト教の教育。好むと好まざるとに関わらす一生付いて回るのかもしれない。