yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「お祭り」in 吉例顔見世興行@京都南座 12月19日夜の部

ほんの30分弱の舞踊だったが、いかにも仁左衛門という感じで良かった。この17日にシネマ歌舞伎玉三郎との『怪談 牡丹燈籠』(歌舞伎座、2007年)を観たところで、そこでも仁左衛門の歳を感じさせない美しさ、フレッシュさに驚いたけど、この「お祭り」もそれから7年経過しているはずなのに、かわらない美しさ、格好良さだった。三階席からオペラグラスで観たのが残念だった。三階席は逆に動きがはっきりと分かる。その点では良かった。仁左衛門の動きは同年輩の役者たちからは抜きん出て切れがよかった。さすが!玉三郎といい仁左衛門といい、きっと普段から厳しい節制をしているのだろう。玉三郎のはそれが他者を拒絶するような鋭さを持っているのに対して、仁左衛門はもっと大らかで、子供っぽい天然さがあるように思う。

どこからみても百パーセント江戸前舞踊。江戸役者が自家薬籠中のものとしている舞踊。京都出身で普段は「ヘビー京都ダイアレクト」の仁左衛門が踊って、決まりに決まっているのがいい。この洒脱さは他のだれも真似できない。それこそ江戸前ですよ。でもね、表情がやっぱり「はんなり」しているんですよね。お父上の先代仁左衛門を彷彿させる柔らかさ、愛嬌がなんともいえない。これは江戸前ではない、京都人ならではのもの。それは彼の兄たち、我當秀太郎にも共通した柔らかさである。もちろんどういう役柄を演じていても、現坂田藤十郎の芸風にもそれがはっきりと出ている。

これからは、「お祭り」と聞くと、仁左衛門が首を振りながら手の襷を左右にゆらしつつ踊るサマが最初に瞼に浮かんでくるのは間違いない。これを超える「お祭り」は当分出そうもないけど。