yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

シラー劇場でのオペラ歌手公開レッスン

今日はブランデンブルグ門からフリードリヒシュトラーセに出て、目的のモールをさがしたのに、見つからず。そのままアレクサンドルプラーツのガレリアに直行して、朝昼兼用のサラダを食べた。これで一日分の野菜の量にかろうじて達しているようで、一安心。そこから1時間弱歩いた。予報では一日雨だったが、ときおりぱらつく程度で、昨日のような雨にはならなかったので、歩きには快適だった。気温も高かった。5度はあったと思う。

そのあと子供のオペラを見ようとシラー劇場に行ってみると、なんと!もうすでに終わっていた。私が時間を間違えていたのだ。「やっぱり歳かな」とがっくり。案内のお兄さんが気の毒がって、ちょうど公開リハーサル中なので、見てゆけばとサジェスチョンしてくれた。無料だという。そのまま二階にあがると、なんと本格的な公開レッスン中。こういうのをNHKのeテレでみたことはあったけど、実際には初めて。

オペラ歌手の卵たちがオペラの師匠の指導を受けていた。もう、感激!神様がきっとこれに来るようにと差配してくれたのだと(都合よく)信じれた。それぐらい見応え、聴きごたえがあった。ベルリンに居たらこんな機会がわんさかあるのだと思うと、やっぱりベルリンはあなどれない街。

詳細を知りたいのでホテルに帰ってから調べたのだけど、ドイツ語が分からないので誰が指導を受けていたのかはわからず仕舞い。先生はイタリア人。指導されていた三人の歌手たちの国籍はきっとさまざま。二人目のバリトンの歌手がドイツ人ということだけ確か。一人目のソプラノの女性はとてもきれいな人。ドイツ人ではないと思う。伸びやかな声で聞き惚れた。二人目がバリトン歌手。身体も大きくて、それをうまく使っての歌唱。こちらもよかった。それにドラマチックな演技をつけるところも、見ごたえがあった。三人目はテナー。この人はあまり背は高くなかったけど、すばらしい高い声だった。先生も「ブラボー」を連発。それぞれ聴いたことのある曲を歌っていた。でも、曲名までは分からず。先生の名も分からず。おそらく往年の有名な歌手さんでしょうね。40分ばかり、至福のときをすごせた。やっぱりベルリンはオペラではきわめて層の厚いところだと思い知った。いくらうまくなったとはいえ、日本の歌手は足元にも及ばないのでは。そういえば聞いていた観衆のほとんどがオペラ歌手の卵で、仲間の応援に来ていたのだと思う。その中に日本人らしい男性が3人ばかり混じっていた。ウィーンでもそうだったけど、音楽関係では日本人が圧倒的に多い。

あらためて感じたのはこういう西洋のオペラでは、悔しいけど日本人が彼らの域に達するのは至難の技だろうということ。西洋音楽なんですものね。この長い、しかも濃い伝統の中にassimilate されない限り、その肝の部分を表現することは困難だろう。日本人性をある意味捨てなくてはならなくなる。それぐらいものすごい重さ。表現者となってそれを担うということのただならなさを思い知らされた。

文化とはなにかを考えさせられた。日本から外に出ない限り、それを肌身で感じることなく済んでしまう。だからやっぱりこういう機会は貴重だった。ベルリンの人たちは他のドイツのあるいはヨーロッパの国の人よりも外部、あるいは他者に曝される度合いが低かったのだと思う。アメリカなんて他者だらけだから、外国人が自身の文化を背負ってそこに混じっても、気にもとめない。でもベルリンはそうではないように思う。「他者」として、異物として見られるのはあまり気分の良いものではない。でもそれがゆえに、今回のベルリン滞在は意味があった。久々に「自分を他者として見ている他者」を見る機会を持てたから。