yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

仁左衛門・玉三郎の『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋』十月大歌舞伎@歌舞伎座10月20日夜の部

「寺子屋」は『菅原伝授手習鑑』の一段でしかないが、単独で板に乗ることの最も多い演目のひとつ。松王丸と源蔵との「confrontation」が最大のみどころ。加えて、「主のために自らの子供を犠牲にする」という(おそらくは)現代人には理解できない封建精神を、現代の役者がどのように説得力を持って演じれるかというのも、大きなみどころ。

「歌舞伎美人」からの引用は以下。

<配役>
松王丸:仁左衛門
武部源蔵:勘九郎
戸浪:七之助
涎くり:国生
百姓吾作:松之助
春藤玄蕃:亀蔵
園生の前:扇雀
千代 :玉三郎


<みどころ>
忠義のはざまで苦悩する夫婦の姿

 
武部源蔵は、妻戸浪とともに寺子屋を営みながら、太宰府に流罪となった菅丞相の子菅秀才を匿っています。その菅秀才を討つよう命じられた源蔵は、今日寺入りしたばかりの小太郎を討ち、その首を検分役の松王丸の前に差し出します。菅秀才の顔をよく知るはずの松王丸ですが、その首を菅秀才のものと認めて去っていきます。なんとか窮地を切り抜けた二人のもとに、今度は小太郎の母千代が迎えに現れます。源蔵が千代に斬りかかろうとすると松王丸が姿を現し、意外な真相を語り始め…。
 

時代物の中でも屈指の名作です。重厚感のある一幕にご期待ください。

三階席からみると、一階席に多数の外国人。三階席に多いのはいつものことだけど、一階席にこれほど多くの西欧人を見たのは初めて。心配だったのは(おそらくは理解不能な松王丸と源蔵の)「忠義」を彼らがどう「理解」したかということ。「ハラキリ」ですら、かなりの抵抗を示すのが普通の反応だから、忠義のために自らの子を差し出すなんて(アブラハムじゃあるまいし)、理解しろという方が無理。

外国人にとってだけではなく、現代日本の観客にも「理解」不能だろう。説得力を持たせて演じるには、役者に非常な力量が要請される。勘九郎が源蔵を演じると知ったとき、「ムリ」と思ったのはそこである。まだ若い。経験も少ない。「せまじきものは『宮仕え』」なんて台詞だって、彼が発するとなると違和感があるに違いない。そう予想していたのだが、これがけっこう説得力があったんですよ!戸浪を弟の七之助が演じたということもあり、彼がサポートしてくれるので二人のかけあいをうまくこなせるという自信が勘九郎にあったからかもしれない。今までけっこう大御所が演じる源蔵をみてきたけれど、彼らの源蔵と比べても遜色がなかった。父上の霊が降りてきていたのかもしれない。

勘九郎/七之助の組み合わせに対置されるのが仁左衛門/玉三郎の組み合わせ。こちらは松王丸と妻千代。こちらもあまりにもぴたりとした息の合い方。この四人、故勘三郎の縁が並外れて強かった人たち。その彼らがイキをあわせて演じきる「寺子屋」が悪いはずがないんですよね。特に(私の贔屓目もあったのか)千代役の玉三郎がすばらしかった。録画しておいて欲しかった。感情をほとんど出さない能面のような表情。今まで色々な役者の千代を観てきたが、わりと目に立つように感情を出していた。玉三郎はそれをかなり抑えていた。

松王丸は源蔵との対面では感情を出してはいけない役柄。源蔵が奥に引っ込んで、刀を振り下ろす声が聞こえたところで、初めて「はっ!」とした表情をみせる。それも籠った感じで演じなくてはならない。このバランスが微妙。仁左衛門のそれはみごとだった。

それと「涎くり」役の国生。前回の涎くりにも感心したけど、こちらも大御所を向こうに回して、奮闘。良かった。

今までに観てきた「寺子屋」の中で、もっともモダンだった。ということは、外国人にも比較的理解し易かったのかもしれない。英語のイヤホンガイドを借りておけばよかった。歌舞伎を見始めたころに、何回か借りたことがあるが、英語の解説者は通の人で、とても参考になったっけ。日本語の方も通の見本のような解説者。そちらもたまには借りてみるのもいいかも。