yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

坂東玉三郎襲名50周年記念特集『芸術新潮』2014年6月号

先月東京に行った折に教文館でみたこの号、帰宅してからアマゾンで買った。ずっと保存したい特集号。

芸術新潮 2014年 06月号 [雑誌]

芸術新潮 2014年 06月号 [雑誌]

中にある写真は2012年の南座公演、『壇浦兜軍記』で、彼が阿古屋を演じた際の展示会に展示されていたものが多かった。その写真を毎日のように眺めている。とくに彼の旅行中の写真がいい。いちばんのお気に入りはベニスでのもの。ゴンドラに乗って行き過ぎる建物をみている姿もいいけれど、街灯の柱につかまって手を振っているのが、なんともいえずステキ!パリ、セーヌ川の川縁を歩いているときの姿も最高。彼の表情が何ともいえずいい。彼ほどその年齢を味方につけた人はいないだろう。たしかにもう若くはないのがみてとれる。でも若い人が出し得ない美しさを醸し出している。顔からもその佇まいからも。それは歌舞伎で役を演じているときの彼とはまた違った玉三郎である。

その美しさは決して近づきやすいものではない。華やかな美しさなら見る側の闘志を刺戟して、なんとか近づこうと、あるいは「征服」しようとするかもしれない。でも彼の美しさはそういう性質のものではない。優しさを纏っているようで、どこか拒絶している。近づくのは気後れしてしまう。見る側を僕にしてしまう。それでいてなんどもなんどもみたくなる。この拒絶と接近の距離感。

歌舞伎の写真(副題は「美しきものを見しひとは」)、昆劇のもの、太鼓の鼓童との『アマテラス』のもの、沖縄の「組踊」のもの、そして泉鏡花作品、『日本橋』、『天守物語』、『海神別荘』のものと続く。どれもが彼の演者としてのすごさを伝えるものである。それに、熊本の『八千代座』に立つ彼の写真も加わっている。彼こそこの伝統ある小屋復活の立役者なのだ。実際、山鹿に行った折に、玉三郎への感謝の言葉を町の人から聞いた。小屋の真ん中に凛と立つ玉三郎は小屋を背負っている感じがする。

「玉三郎の昨日・今日・明日」という船曳建夫さんとのインタビューはちょっと白けてしまった。玉三郎の隠れた部分を引き出すというより、船曳さんの我田引水的なインタビューの様相を呈していた。ひとり相撲だったのでは。でも玉三郎の「本質」のようなものが顕れなかったぶん、彼のもつ神秘性が際立ったのかもしれない。普通の切り方では彼に斬り込むことは不可能だというのがよく分かった。並の人間と芸術家との違いとでもいうべきか。

ひとつ良かったのは、玉三郎と歌右衛門との巷間での噂の実態が分かったこと。あの(「天皇」と呼ばれた)歌右衛門、彼の『壇浦兜軍記』の阿古屋を継ぐ役者として認めたのは玉三郎のみだったのだ。