yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

「バルテュス 5つのアトリエ」日曜美術館(再放送NHK e-テレ)8月10日

NHKサイトでの概要は以下。

バルテュス(1908−2001)は、さまざまな芸術運動が勃興した20世紀を生き「最後の巨匠」と呼ばれた孤高の画家。92年の人生を通して描き続けた特異なエロティシズムを放つ作品群は、称賛、そして同等の誤解や非難を浴びてきた。「少女」をテーマにしながら、彼が本当に描きたかったものは何か?そのヒントになるのが、彼が生涯に持った5つのアトリエだ。アトリエを変えるたびに、バルテュスは大きく作風を変えている。


20代、パリに構えた初めてのアトリエで描いた絵を中心に、初めての展覧会を開いた。その展覧会が鳴かず飛ばず、失意のうちに引っ越した2件目のアトリエで、「少女」というテーマを得た。


40代を暮らしたのは、フランス中部・シャシーの古城。15歳の少女と隠棲した田園の光と影の中で、ルネサンスの壁画にも通じ合う、画面そのものが発光しているかのようなマチエールを獲得した。


50代はローマのヴィラ・メディチ。幼少時より憧れ続けた国・日本から若い妻を迎え、凛とした静ひつな作品を描いた。


そして晩年はスイスアルプスの小村、ロシニエール。生涯最後の20年を過ごしたアトリエでは、憧れてきた「ルネサンス」と「東洋」が融合させた。
画家にとってアトリエを新しくすることは、新しい絵の境地を切り開こうとする決意でもあった。パリの陰影、裏街の空気、田園の光と影、古都の輝き、森の静寂――そのすべてを現地取材し、美しい映像でバルテュスの人生を追体験。彼が称賛や誤解を超えて本当に描きたかったものは何であるのかを解き明かす。

出演   節子・クロソフスカ・ド・ローラさん(バルテュス夫人)

5月に放映されたものの再放送。

バルチュスの作品はずっと以前に京都市美術館でのものをみたのが初めて。それも一昨年亡くなった友人が、(東京に住んでいたので)京都まで行けないということで代わりに行ったもの。そこでポスターを彼女の要望通り買い求めた。

ショッキングな展覧会だった。友人がなぜこの画家が好きなのかは何となく分った。友人の心の闇のようなものを垣間みたような気がした。私も若かったので、彼女に深く問い質すようなことはしなかったのが、今となっては残念。若いということはエゴイストということなんですよね。いくら「近い」人でも、他者にはそこまでの関心をもたない。

展覧会ではかなりとまどった(embarrassed)。みてはいけないものをみてしまったような、絵を注視しているところを人に見られたくない、そんな気持ちにさせられた。こんなに「少女」ばかりを描くなんて、この画家には「幼女愛」の嗜好があるのかと思った。『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロル(本名チャールズ・ドジソン)と似た性癖の人なのかと、想像した。良くいえば「ぶりっ子」でその方面のことに疎かった私は、バルチュスの絵を前にすると「禁断の実」を食べさせられてしまう恐怖に、おののいてしまったのかもしれない。

画家、バルチュスの兄はあのピエール・クロソウスキー。こちらも弟と負けず劣らずの奇人。小説、『ロベルトは今夜』で知られる。評論では『わが隣人サド』。頭の中を洗濯されたような、そんな衝撃を受けた。とても正気では読めないような作品。でも今読めば、大分違った感慨を持つのかもしれない。バルチュスの作品もこの番組が紹介したものはそう抵抗感なくみれるような気がする。私も歳をとったのだ。

明日、祖父の墓参りのついでに、この展覧会に行ってこようと考えている。