yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

アンドレア・バッケッティ ピアノ・リサイタル@兵庫県立芸術文化センター、神戸女学院小ホール 7月12日

この公演のチケットを取ったのも先週のラモン・オルテガ・ケロのコンサートチケットと同時期なので、ずいぶん前。何ヶ月も前に取ってしまうと、後で別予定を入れる際に困ることが多い。今回も先週と今日とで東京遠征の日程をずらさざるを得なかった。

ともあれ、先週のラモン・オルテガ・ケロと同じく感動した。こちらはピアノだったのでなおさら。しかもプログラムがオール・バッハ。以下が演目。

トッカータ ホ短調 BMV914
ゴールドベルグ変奏曲 BMV988
「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」より 
ただ愛する神の摂理にまかす者 BMV691
プレリュード ハ長調 BMV846-1
メヌエット ト長調 BMV Anh. 114
フランス組曲 第5番 ト長調 BMV816

検索をかけてみると、バッハを得意としているらしいことが分かった。特にグールドを尊敬しているとのこと。道理で彼の弾く「ゴールドベルグ変奏曲」のイントロ部分はまるでグールドだった。でも次第に違いが、それも大きな違いがあることが判明したけれど。バッケッティの”Goldberg Variations” はYoutubeにもアップされているので、リンクしておく。

グールドの”Goldberg Variations”がきわめて「禁欲的」であるのに対して、彼のは装飾的。ペダルを多用しているので、最初イヤだった。でも聴いているうちに、彼のスタイル、それもグールドとは違ったバッハを弾きたいとういう、強い意思を感じた。これもありかなと思うようになった。華奢な身体の中にある種の強靭さというか、美への強烈な志向、揺るがない信念のようなものを感じさせた。その点では先週のラモン・オルテガ・ケロの「自然体」とはずいぶんと印象が異なった。もっとも、この方はすでに30代の半ばを過ぎているので、20代半ばのラモン・オルテガ・ケロとは音楽に対する姿勢が違って当然だろう。でも、謙虚で恥ずかしがりという点ではラモン・オルテガ・ケロと同質のものを感じた。純真といいかえても良いかもしれない。魂の美しさというべきか。それとラモン・オルテガ・ケロの出身がスペインなのにたいし、こちらはフランス。同じラテン系の共通点もあった。ロマン的なところ。だから、あのグールドの演奏が禁欲的なのとは、そして絶対的自信に満ち満ちているのとも違っていた。もっと流動的というか、フレキシブル。私としては、やっぱりグールドが基準になってしまうので(それも最初の「ゴールドベルグ」が)、こういうペダル多用の演奏を聴くのは、どうも居心地が悪いのだけれど。

なんて思っていたら、なんと!アンコールに6曲も演奏してくださった。そのどれもがバッハでない!以下。
モーツァルト 幻想曲k397
モーツァルト ピアノソナタ 10番
ショパン エチュード 黒鍵
ソレル ソナタ ホ短調
リスト コンソレーション

会場の出口にアンコール曲一覧の貼り出しがあったのだけれど、あと1曲が分からない。私が聴いて分かったのは最初の3曲のみ。最後はリストだとは分かった。華麗な超絶技巧での演奏だったから。彼にはこの最後のリストがいちばん合っていたような気がした。