yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

関容子著『歌右衛門合せ鏡』(文芸春秋社、2002年)

六世歌右衛門へのオマージュである。おそらく色々なところへ寄稿していた記事をまとめたものだと思われる。だからちょっとバラバラな印象はあるのだけど、それらを貫いているのは六世歌右衛門への愛と尊敬だろう。

冒頭は歌右衛門が亡くなった直後の話なので、著者の哀悼の思いについてゆくことがなかなかできず、中断しそうになった。著者は歌右衛門とは公私ともにとても近しい人だったようで、その思いがことばの端々に顕れる。私のように歌右衛門をほとんどみたことのない人間には、それが重く映ってしまう。

「小春日」の章からは、著者と歌右衛門との関係よりも、歌右衛門と彼の家族、役者たち、そして外国人の歌右衛門ファンなどへと話が広がってゆくので、俄然面白くなる。あの戦後歌舞伎を復活させたという有名なフォービアン・バワーズとの逸話やハリウッドの俳優たちとの交歓など、面白いエピソードが満載。

でもやはりいちばん興味深かったのは三島由紀夫との関わり。関さんが三島事件の折にちょうど歌右衛門が出ていた歌舞伎座の彼の楽屋を岸田今日子が訪ねた話をしたところ、六代目は「(略)三島さんとは不思議な御縁で、ずいぶんたくさんの脚本を書いて下さったけどね(略)『人に歴史あり』というテレビ番組にあたくしが出て(略)三島さんが出てくださったんだけど、そのとき何だか様子が変でした。(略)すぐ脇道へそれて、憂国論みたいになっちゃうの。この方どうかなすったのかなぁ、ととても気がかりだったんですけど、そしたらあなた、あんな事件でしょ。ほんとにびっくりいたしました」。それ以上の言及は避けたと関さんはいう。

ちょっと残念だったのは、このあと三島が彼のために書いた戯曲、『朝の躑躅』のことを関さん(そして演出した長岡輝子さん)が評価していなかったこと。とてもよい戯曲だと思うのに。三島がさぞ嘆いているだろう。さすがに歌右衛門はそういう評価はしなかったのではないか。三島を語るときに今なおついてまわる毀誉褒貶をいやというほど感じてしまった。

なんといってもこの本の白眉は「合せ鏡」の章だろう。歌右衛門と他の役者たちーー息子の梅玉、松江、そして甥の福助、橋之助、よく共演した十二世團十郎、現菊五郎、義太夫の葵太夫、当時の勘九郎(後の十八世勘三郎)、盟友三津五郎ーーとのエピソードには、歌右衛門がいかに彼らに尊敬され愛されていたかが、あますことなく示されていて、感動的である。

そして最後の章、「歌右衛門の光と闇」には、歌右衛門が抱えていた「深い闇」についての関さんの鋭い分析が語られている。たしかにそういう闇がを抱えた歌右衛門だからこそ、三島があれほど惹かれたのだろうし、彼に「女形」という短編を書かせたのだろう。あの中の光と闇との対比はまさに歌右衛門の本質を言い当てているし、彼の本質に迫っている。