yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

守屋毅著『近世芸能興行史の研究』(弘文堂、1985)

サントリー学芸賞(1986年文学・芸術部門)を受賞した守屋毅氏(1943-1991)の著作。そのとき学芸賞の選考をした谷村 晃氏(大阪大学教授)の評が以下。

<略>
芸能史の研究と言うととかく特定の芸能の形態、特色、由来等についての微に入り、細をうがった考証に終始するか、それともある時代の歴史や社会を説明するための格好の材料の一つとして扱われることが多かった。前者は考証の魅力に惹かれる余り、研究対象としての芸能そのものが研究者の手から滑り落ちてしまいがちである。後者では芸能は歴史研究の材料とはなり得ても、芸能そのものの特質や、問題点は必ずしも明らかにはならない。
 

芸能を単なる過去の歴史的現象と考えるのであれば、上記のような研究方法も有効であろう。しかしながら芸能を何らかの形で今もなお生き続けている日本の文化伝統として捉えようとする限りにおいては、上のいずれの方法も不充分である。それに変わるもの、ないしは両者をつなぐものとして守屋氏は興行史に狙いを定めようとするのである。氏に言わせれば、「芸能を政治・経済・風俗、ひいては社会的諸現象の一環としてとらえる立場に立つとき、はじめて興行という対象を設定する意味がみいだせるのであって、したがって、興行という領域は、社会一般の現象と芸能固有の課題とを接続する回路ともなりうるもの」なのである。
 

興行史という視点の導入は、芸能を静態としてではなく、動態として捉えようとするとき、極めて有効な方法を提供してくれるように思われる。と同時にこの新しい視点の導入は今後の芸能史研究に多くの新しい問題を提供することとなるであろう。蒔いた種は刈り取られなければならない。守屋氏の博識、構想力、情熱、そしてその優れた文章力をもってすれば、将来更に見事な収穫がこの分野で得られることは、間違いないであろう。

イタリックスの箇所が、守屋さんのこの著作の優れて革新的なところを余すことなく表現している。

以前からこれをどうしても読みたかった。でも、宝塚、西宮、そして神戸の図書館(神戸外大にあるようだけど)になくて、そのままになっていた。さすが府立中之島図書館にあるようなので、明日出かける予定にしている。ついでに、これもまた他図書館にはなかった『近世芸能文化史の研究』(弘文堂、1992)も借り出すつもりにしている。

48歳の死は夭逝といってもよい。日本文化史に新しい「視座」を導入したという功績は、どう賞賛しても賞賛しすぎることはないだろう。何冊か著作はそろえていたが、なかなか腰を落ち着けて読むことができなかった。今、『元禄文化―—遊芸・悪所・芝居』を読み終えた。あまりにも題材が豊富な上に複雑、それらすべてが新鮮、ユニークな切り口で分析されているので、消化するのに時間がかかる。「おなかいっぱい」状態だけど、めったにない高揚感に浸ることができる。