yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『源氏物語』市川海老蔵特別公演
歌舞伎×オペラ×能楽@京都南座4月15日昼の部

以下サイトより。

<見どころ>
メトロポリタンオペラで活躍するカウンターテナー歌手
アンソニー・ロス・コスタンツォとの競演!!

<スタッフ・キャスト>
市川海老蔵


アンソニー・ロス・コスタンツォ(カウンターテナー歌手)


片山九郎右衛門

梅若紀彰

観世喜正


片岡孝太郎(特別出演)



よかった一点目は上演時間が短かったこと。午後1時始まり、終わったのは3時過ぎ。『空ヲ刻ム者』が4時間の長丁場で、途中かなり飽きたし、疲れたから。

二点目は海老蔵が痩せたせいで、平安貴族風の化粧が似合っていたこと。『源氏物語絵巻』によると、当時は下膨れ顔が美男・美女だったようだけど、それだと、こういう白ぬり化粧をすると、いかにもオタフク然となる。また例の平安朝衣装には細身の方がすっきりみえる。素がオトコマエだから、まあ、なにを着ようが似合うのは間違いない。目は当時風に切れ長にするため、もとの大きな目を化粧でそれっぽくしていた。これ、ぞくぞくするほどの色気だった。

三点目は音楽。全体は二幕で構成されていて、第一幕はハープシコード(チェンバロ)、リコーダーの演奏(これは上手に設定された御簾中で御簾ごしにうっすらと見える仕掛け)に合わせてカウンターテナー歌手が歌う。シェイクスピア劇を模していたのだろう。あるいは洋の古典音楽でいにしえの和世界を表現しようとしたのだろう。第二幕は能楽との競演だった。そして最後はこの和洋が合体する形をとっていた。

四点目は紫式部を思わせる平安女性の語りが入ったこと。片岡孝太郎が演じた。舞台下手に座り物語を読むという形。非常にsoothing な感じでよかった。

五点目は舞台がすっきりしていたこと。玉三郎の舞踊劇、『春夏秋冬』を思わせた。目立つ装置は向こうとこちら側をわける紗の幕が舞台中央に設定されていたくらい。これは西洋の舞台ではよくみられる工夫でべつに目新しくはないのだけど。

問題だと思った点は、あまりにも「静」的すぎたこと。もちろん平安朝の時の流れがこういう風だったという先入観念があるのは理解できるのだけど、かなり退屈だった。

第一幕で藤壷の姿がまだ桐壺帝が存命なのにもかかわらず、「尼僧姿」だったこと。あとで紫のかぶりものを取るのだが、ちょっと違和感があった。藤壷が「出家する」のは、帝の身罷た後である。もちろんそれは源氏を遠ざけるためだったのだが。

それと、なぜ英詩を初めとする海外の詩をわざわざ使ったのかが、もうひとつよく分からなかった。因みに、四編の詩が使われていた。最初のものは英詩。ルネッサンス期の英国の詩人、John Dowlandの作品で、”In Darkness Let Me Dwell.” 二つ目は“Spunta l'alba e nasce il sole (The dawn and the sun rises).” これはバロック期の作曲家、スカルラッティの曲。三つ目の詩、“O Pace del Mio Cor (Oh peace of my heart)”と最後の詩、“La Pace del Mio Core ” ともにスカルラッティのカンタータ。英詩やイタリアの歌曲を拝借しなくても、日本の例えば『古今集』を日本のオペラ歌手に歌ってもらっても良かったのでは。詩に曲を付ける必要があるだろうけど、それでも喜んでやってくれる作曲家ははいたはずである。その方がずっと良かったと思う。海老蔵の「インテリっぽくみせたい」という気持ちの顕れなのか。『はなさかじいさん』の方向性と真逆に行っているようで、残念。

次に残念だったのは、本公演のカウンターテナー歌手、Anthony Roth Costanzo。

上の曲(詩)を検索にかけると、Anthony Roth Costanzo ならぬ David Danielsというカウンターテナー歌手が歌うアルバムが出てくる。Wikiによれば、David DanielsはMETでもヨーロッパでも活躍している歌手。METではブリテンの『真夏の夜の夢』でオベロンを演じたという。モンテヴェルディ、グルック、ヘンデル等の17、18世紀バロック期の音楽家を歌っているようである。去年の年末のヘンデルの『メサイア』でカウンターテナー歌手がソプラノ・パートを担当していて驚いたけど、それも別に目新しいことではなかったのだと納得。YoutubeでDavid Danielsの歌唱は聴くことができる。何曲か聴いてみたが、声質はアルトというよりテナーに近い。体型も堂々とした偉丈夫。迫力があった。

それに比べるとAnthony Roth Costanzoにはいくつも留保が付く。彼を検索にかけると、もともとミュージカル歌手だったよう。Youtube検索では先日カウンターテナーで聴いた『メサイア』中の “He Was Despised”が最初に出てきた。バロック期のオラトリオ、オペラでは最近カウンターテナーがパートを担当するという「先祖還り」現象が起きていることを初めて知った。この方、残念なことに、Danielsほどの安定感がなかった。華奢な体つき。声質もしかり。平安貴族の衣装で登場するのにも、かなり違和感があった。日本人のカウンターテナーを起用した方がよかったのでは。METでも歌ったことがあるようだが、マイナーな役。来月8日から2週間ニューヨークに行く予定なので、METで確認してくるつもり。

筋書によると、脚本は今井豊茂。第一幕、洋学のアドバイザー弥勒忠史。第二幕の邦楽の作詞は田中伝次郎。海外の「二流」オペラ歌手を使うくらいなら、日本人歌手を起用して欲しかった。

驚いたことに、客席は満員。先月のこの南座での歌舞伎公演と思わず比べてしまった。もちろんこれは歌舞伎ではないので、取っ付きやすいと思う人が多かったのかもしれない。海老蔵が主演というのもあっただろう。年齢層は普段の歌舞伎公演より大分若目。私は満足したとはとうていいえないのだけど、周りのおばあさん、おばさんたちは、「良かったね」と言い合っていた。