yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

杉本文楽『曾根崎心中』@フェスティバルホール3月29日

2011年10月16日に宿泊していた東京のホテルでNHK eテレの「杉本博司が挑む『曾根崎心中』」をみて以来(このブログ記事にもしている)、ずっと生の舞台を体験したいと願って来た。その公演をこの土曜日にやっと観ることができた。ヨーロッパ公演(マドリード・ローマ・パリ)で成功したということなので、今回は「凱旋公演」である。

公演概要等はサイトからの案内と合わせてあとに載せる。

まず率直な感想としては、がっかりしたの一言。いろいろと考え合わせて出た結論は、空間を扱う建築デザイナーの杉本博司さんが捉える空間が、文楽のようなパフォーミング・アーツの空間とはずれがあるのではないかということ。これが映像作家が「料理」すれば、かなり違った空間が現出したに違いない。事実、篠田正浩監督の『心中天網島』はみごとに文楽の空間を描き出せていたから。役者が演じるのと人形のそれとはもちろん違っているだろう。でもある種の抽象化を空間に施すことによって、よりリアルな「現実」を描出するという点では共通しているはずである。篠田作品はそこをみごとに成功させていた。

杉本文楽はあまりにもその「抽象化」に拘りすぎたのではないか。とくに第一段の「観音廻り」。映像作家の束芋氏がこの段を手がけたようだけれど、バックの映像と舞台とがうまくからみ合っていなかった。バックの映像は演劇、芝居とマッチするようなものではなく、あくまでもデザイン的。スタティック。この方、映像作家ではなくグラフィックデザイナーのようである。その点では杉本氏と同じく、固定した空間を扱ってきた方。だからかその「映像」はどこかとってつけたような印象。なぜいくつもの仏像が出てくるのか、あるいはなぜひらひらと舞う蝶が挿入されるのか、理解に苦しんだ。蝶で思いだしたのは中島美嘉さんのコンサート。良く似ていた。でもあちらの方が映像が数等効果的に機能していたし洗練されていたけど。

この束芋氏という方、おそらく近松の原作を読んでいないのでは。読んでいれば、あの情念の籠った、その激しい吐露、めくるめく感情の嵐、そういうものをなんとか映像でもって演出する努力をしたはずだから。仏像やら蝶やらでお茶を濁したりしなかっただろう。もっと勉強して下さい。そして古典に対して、伝統に対して「畏敬」の念を持って下さい。

もう一つ不満だったのは「黒子(黒衣)」の使い方。これは前述した「抽象化」とも関係している。なぜ黒子をみえなくするのか。暗闇、ケッコウ。でもその暗闇のため黒子がほとんど見えなくなっていた。その点でも篠田作品の方がはるかにうまく暗闇と黒子の関係をみせていた。黒子が闇にかくれてしまっては、文楽の「興趣」は半分以上そがれてしまう。黒子の「役割」を最大限引き出して演出したのが、篠田作品である。ぜひ参考にして欲しい。

後半は良かった。でもそれは「杉本文楽」だからではなく、近松の原文がすばらしいから。そして大夫の語りと人形の遣い手がすばらしいから。なんのことはない、文楽そのものがすばらしいから。勘違いしないで欲しいのは、なにも新しい試みがダメといっているのではない。伝統を死守するだけでは、おそらくどんな伝統芸能にも未来はないだろう。だからこういう試みで硬直化した伝統に風穴をあける試みは大歓迎である。これからも色々なものが出てくることを期待している。

桐竹勘十郎さんのお初、そして吉田一輔さんの徳兵衛、良かった!吉田一輔さんには2012年11月の文楽公演『仮名手本忠臣蔵』の小浪に感心してこのブログ記事にもしている。そして、私の大好きな呂勢大夫さん、朗々とした声の通りがすばらしかった!津駒大夫さん、嶋大夫さん、それぞれに個性的で良かった。かれらが共同で競演するあとの段は、だから大満足。それは演出でも構成でも美術でもなく、ひとえに原作がすばらしいから。そして演者がすばらしいから。杉本博司、束芋両氏の演出のおかげではない。ここをしっかりとおさえておきたい。

観客は普段文楽劇場でみなれた人たちとはちがった層だった。あの広いフェスティバルホールがほぼ満員だったから、こういうものへの期待値は高いのだろう。文楽を敬遠していた、あるいは観たことのない人が大勢だったに違いない。この人たちを今後の文楽公演に取り込むにはどうすればよいのか、その辺りのことを文楽に携わる人たちにも考えてもらわなくてはならないのかも。でもこの日改めて思ったのは、文楽というパフォーミング・アーツにも未来への可能性が開かれているということ。芸術度の高さがすごい。あとは工夫で人を集めるということだろう。

以下、公演サイトから引用した「みどころ」。

1. 現代美術作家・杉本博司がおくる「人形浄瑠璃」の世界

「能」を作品化するなど、近年伝統芸能に意欲的に取り組んできた杉本博司が新たに挑んだのは「人形浄瑠璃文楽」。江戸・元禄時代の近松門左衛門の代表作『曾根崎心中付り観音廻り』に独自の解釈を加え、構成・演出・美術・映像を手掛けます。
2. 『曾根崎心中』の原文が復活

現在、人形浄瑠璃文楽の公演演目『曾根崎心中』(現行曲)は、演出の都合上、原文の一部が割愛されたものになっています。『杉本文楽 曾根崎心中』では、原文に忠実な舞台化をめざすために、上演台本には、2008年に富山県黒部で発見された初版完全本(通称:黒部本)を原典として使用、原文にある「観音廻り」を見事に復活させました。1703年の初演作品が現代によみがえります。
3. 鶴澤清治(三味線)と現代美術作家・杉本博司との夢の共演

杉本博司のコンセプトに賛同した人間国宝・鶴澤清治が、近松の完全版ともいえる『杉本文楽 曾根崎心中』を共作。誰も観たことのない「文楽」に挑み、新たな魅力を繰り広げます。 <鶴澤 清治(つるさわ せいじ)プロフィール>
1945年大阪生まれ。人形浄瑠璃文楽座・三味線。1953年、8歳で四世鶴澤清六に入門。39年に十世竹澤弥七の門下となる。30代前半から13年間、人間国宝・四世竹本越路大夫の三味線をつとめる。2004年に日本芸術院賞恩賜賞受賞。2006年に紫綬褒章受章。2007年9月に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、「三味線格」になる(三味線弾きとしての最高格)。
4. 「観音廻り」で桐竹勘十郎が一人遣いを復活

『曾根崎心中』の初演時(江戸・元禄時代)、人形の操作方法は現在の「三人遣い」と違って「一人遣い」によるものでした。本公演で復活する「観音廻り」において、桐竹勘十郎が一人遣いに挑戦。主人公である「お初」の一人遣い人形を新たに制作し、これに挑みます。なお、人形制作にあたっては、フランスを代表するメゾン、エルメスのご協力により、スカーフを用いたコンテンポラリーな衣裳が実現いたしました。

以下配役とその他。

[大夫と三味線]

1. プロローグ
三味線:鶴澤清治

2.観音廻り
大夫:豊竹呂勢大夫  三味線:鶴沢藤蔵、鶴沢清旭

3.
生玉社の段
大夫:竹本津駒大夫  三味線:鶴澤清志郎

4.天満屋の段
大夫(切り:豊竹嶋大夫  三味線:鶴澤清治

5.道行
大夫:竹本文字久大夫、豊竹呂勢大夫、豊竹靖大夫  
三味線:鶴澤清介、鶴澤藤蔵、鶴澤清志郎

[人形]
お初:桐竹勘十郎
徳兵衛:吉田一輔
九平次:吉田幸助
長蔵:桐竹紋秀
田舎の客:吉田簑紫郎
遊女:吉田清五郎、吉田簑一郎
亭主:吉田勘市
下女:吉田簑二郎
その他大勢:吉田勘彌、吉田玉勢、吉田簑次、桐竹勘次郎、桐竹勘介、吉田簑之

[お囃子]
望月太明蔵社中
望月太明之
笛 藤舎次生