yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

菊之助の「京鹿子娘道成寺」三月花形歌舞伎@京都南座3月23日夜の部

夜の部は第一部が「御摂勧進帳」、第二部がこの「道成寺」だった。日曜日なのに観客席に空席が目立った。先日の17日の昼の部は一階席だったので分からなかったのだが、そのときも恐らく二、三階席は空いていたのでは。この日の三階席の前の数列は全部空席。20年近く歌舞伎を観てきて、南座ではたいてい三階席をとってきた私の経験では初めて。驚いた。上からのぞくと、一階席も満席ではなかった。三階の私の周囲は外国人学生が多かった。一階席だった先日も「歌舞伎は初めて」という人が多いのが、会話から察せられた。これが東京との差なのかもしれない。大阪の松竹座はいくぶんかマシなような気がする。それでもやっぱり関西の「地盤沈下」は如実に顕れてる気がした。

来月の松竹座、四代目猿之助の『空ヲ刻ム者』の公演チケットが発売後すぐに完売となったことを考えると、ピンポイントで選ぶ人が増えたのかもしれない。長く「亀治郎の会」を主宰してきた新猿之助の「知名度」は東京では揺るぎないものだけど、関西ではどうかと案じていたらとんでもない。人気はすごい。今回の「花形公演」、菊之助、松緑、それに松也、梅枝、新悟、巳之助などの有望花形が打ち揃っているのに、まだまだ関西に浸透していないのかも。

もう一つの理由は、主役をはる役者が「オトナシメ」だからだということではないか。菊之助は華も実力もある役者である。ただ「押し出し」、あえていうならがめつさのようなものをあまり感じさせない。関西人にはそれが少しもの足らなく映るのかもしれない。

松緑は名前を継いだ祖父の松緑と比べると、大きさ、格がやっぱり不足である。先代の松緑はビデオで観たことがあるけど、やっぱりすごかった。評判通りだった。彼の「吃又」は伝説にもなっている程である。それと比べるのはあまりフェアでないかもしれないが、四代目は先代ほどの華がない。また大きさがない。もう一つは声がよく通らない。菊之助の良い声とは対照的。歌舞伎役者にとってこれは致命的だろう。彼が主役をはった「御摂勧進帳」については別稿にするが、ワクワクすることがあまりなくて、残念だった。

第二部の「道成寺」はすばらしかったので、それで埋め合わせができた。どちらかというと、こちらの方を長めにして欲しかった。観客動員もその方がよかったのでは。

以下「歌舞伎美人」サイトからの紹介。

二、京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
道行より鐘入りまで


<配役>
白拍子花子:菊之助
所化:松 也
同:巳之助
同:竹 松
同 :新 悟
同:廣 松


<みどころ>
◆ 幻想的な歌舞伎舞踊屈指の人気大曲
 春爛漫の道成寺。鐘供養が行われているところへ、花子と名乗る白拍子が鐘を拝みたいと申し出ます。実は、花子は叶わぬ恋の恨みから熊野詣の僧安珍を焼き殺した清姫の亡霊だったのです。所化たちは舞を奉納するならと承知し、花子は艶やかに舞を披露しますが、形相がみるみる変わり鐘の中に飛び込んでしまいます。
 華麗で美しく切ない恋心を踊り分ける、女方の舞踊の中でも屈指の大曲で、今回は道行からの上演となります。

菊之助にとっては祖父の尾上梅幸、そして父の菊五郎の芸を継承した舞踊である。梅幸のものはみていないけど、菊五郎のものは観たことがある。「京鹿子娘道成寺」としては他にも、勘九郎(故十八代勘三郎)、鴈治郎(現坂田藤十郎)、玉三郎、そして福助のものを観た。どれもそれぞれに違っていて、それぞれに良かったが、菊之助のものもそれらにひけをとらなかった。特に良かったのは鐘をきっと見上げるところ。他の演者よりもずっと若く、初々しさが匂い立つ感じがした。白拍子的な色っぽさは極力排されて、どちらかというと可憐さが強調された踊りだった。この点は父の菊五郎とは違った感じがした。一途な安珍への思い。それが裏切られた途端、ベクトルは恨みとなって迸る。菊之助の鐘を見上げる所作に、可憐な娘が夜叉に変る瞬間が表現されていた。

勘三郎によると、この「娘道成寺」は「ONLY ONE」の踊りなんだという(『十八代勘三郎』、48—52頁)。菊之助もその彼独自のものを造り上げようとしているのだろう。

印象に残ったのは、所化をやった若手役者たちがその菊之助の踊りを真剣に観ていたこと。とくに松也の視線は強かった。菊之助の一挙手一投足を見逃すまいと、喰い入るように見入っていた。巳之助も盗みするかのような感じで、真剣に観ていた。