yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

夢枕

2011年12月13日に亡くなった友人が夢に出てきた。夢だから脈絡がないのは当然として、不思議な夢だった。

ばったりと四国(彼女は香川県高松の出身だった)からの列車内で再会し、そのあとレストランへ行き、そこで二人で呑んで勘定をするとべらぼうな値段(2万6千円だった)を吹っかけられた。ほんの2、3杯呑んだだけでこれはおかしいだろうと、文句をいったら逆にそこの女主人にすごまれた。で、彼女が「今から警察(!)に行って事情を説明するわ」といったところ、相手の対応が多少変った。それでも彼女は出て行った。このあたりなぜだったのかが曖昧。しばらくして車でもどってきた。男子学生と一緒に。単位を落とした学生だったとか(彼女が当時勤務していたのは女子大だったが、前任校が共学)。そのあと店のオーナーとかけあい、代金を半分にさせた。ここからもかなり曖昧なのだけど、再び会おうと約束。23日ははどうかと訊いたら、その日はダメだと云う。新年明けてからにしょうかと尋ねたら、今年中にという。で、26日の日曜日に会おうということになった。今、カレンダーをみたら今年のその日は日曜日ではない。それで目が覚めた。

以前にも彼女の夢をみたけど、こんなにクリアなのは初めて。私が巡り会った人の中で、最も頭の良い人の一人だった。だから日本で「ジェンダー理論」だとこの人といわれたのも当然だった。理知的でいて、感情のわりきれなさ、理不尽さへの理解と同情のある人だった。最後に彼女の東京のマンションに泊まったときも、私の(今思えば)くだらない愚痴を聴いてくれた。アメリカからの有名な学者の講演会の司会を翌日に控え、その準備に追われていたのにもかかわらず。夜中に目が覚めて、隣りの部屋を覗いたら、彼女はもうもうとしたタバコの煙の中で、文献にあたっていた。翌日起きだした時には、もう彼女はいなかった。

なんでこんな夢をみたのか。お墓がどこにあるのかも知らない。彼女の最期を看取った方に問い合わせるべきなんだろうけど、気が進まない。でも近いうちに高松に出かけて行って、彼女が一時勤めていた大学を訪ねてみようかと考えている。