yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

モーツァルト室内管弦楽団 第156 回定期演奏会@いずみホール12月21日

内容は以下。

<クリスマスに贈るモーツァルトの名曲集>
門 良一(指揮)モーツァルト室内管弦楽団

演奏曲目
1.モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第五番イ長調K. 219(トルコ風)
 ヴァイオリン  佐野智子

2.モーツァルト ピアノ協奏曲 第23番 イ長調K. 488
ピアノ 伊藤恭子
       
3. モーツァルト 交響曲 第40番 ト短調K. 550 

「モーツァルト室内管弦楽団」の賛助会員をされている同僚の先生の招待ということで、いそいそと出かけて来た。もちろんオールモーツァルトプログラム。指揮者の門良一さんのレクチャーが開演20分前からあるというのを、すっかり失念していて待ち合わせにちょっと遅刻してしまい、申し訳なかった。でもレクチャーには辛うじて間に合った。なんでも門良一さんはもともと京大の物理の出身、大学教員だったのに、指揮者の道に入られたのだという。学生時代は京都大学交響楽団の指揮者を勤めていたという。現在71歳で、好きな道を極められているというのは、本当にウラヤマシイやら頭が下がるやら。ステキな方で、レクチャーもとてもためになった。美術館のギャラリートークと同じく、活字になっていない生の情報を聴けるというのは、希少価値がある。

門さんの解説によると、モーツアルト作品の中でイ長調のものは彼の心のうちを生々しく吐露しているのだという。今日のヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲ともにイ長調。この解説を伺っておいて良かった!モーツアルトが喧伝されているようにただただ「明るい」だけではない、暗く鬱屈した想いをも抱いていたことが分かる作品である。

「ヴァイオリン協奏曲」の方は演奏者がちょっとミスったりしたのがご愛嬌。演奏も高音部の伸びが足らず、ちょっとがっかりだった。

二つ目の演目、「ピアノ協奏曲23番」は私の好きな作品の一つで、何人かのピアニストのものをもっているけど、ポリーニが嚆矢。明るいけど、そこに一抹の陰影をもたせての演奏は、よほどの技量が要請されるだろう。

で、本日の演奏だけど、かなり不満が残った。特に2楽章。ペダルを駆使していて(いささか「し過ぎ」の感あり)、そのため音のひとつひとつが屹立せず流れの一部に消滅させられている。「ムードに流されてしまった」、そんな演奏に聴こえた。音を流してしまうと、高揚するところとそうでないところとのメリハリがつかない。外国のトップクラスの演奏家と比べるのが酷なのは承知だけど。私の偏見かもしれなが、やっぱり日本人には「モーツアルト」は荷が重いような気がする。これがベートーベンとなると、話は違ってくるのかもしれない。

「交響曲40番」も今日の管弦楽団のメンバーの力量ではちょっと重かったのかもしれない。ドラマチックになるところが、パワー不足で平板になっていた。

でも門良一さんの「一生懸命さ」には感激した。まだまだお元気で頑張れると思う。

やっぱり生演奏はレコードにはない醍醐味があった。