yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

今後のプロジェクト、大衆演劇と川上貞奴

辞めてからやりたいことはいくつもあるのだが、一つは旅芝居(大衆演劇)の過去、現在、未来へとつながってゆくその意味、重要性を調べたいと考えている。それは歌舞伎をはじめとする古典芸能を含む芸能全般の由来のみならず、日本の芸能史そのものを渉猟することにもなって行くかもしれない。もっとも関心があるのは、大衆のエネルギーのただ中から必然として生まれた芸能が、さまざまな形をとりながらも、ある種の共通項(人によっては日本の独自性というかもしれない)を維持しながら、現在に至っていて、それを端的にあらわすものこそ、旅芝居だということである。それをなんとか証明したいと考えている。保守に回ってしまった瞬間、いきいきとしたパワーは失われる。能、歌舞伎、人形浄瑠璃などがそうであるように。でも幸か不幸か旅芝居にはパトロンがつかなかった。人が観に来てくれなければ、ただちに座を畳まなくては行けなくなる。だから芸能の基本である、エンターテインメントのもっとも根源的な様態を保持しているのだと思う。資料はきわめて少ないと予測される。でも時間面で自由度が高くなるから、時間を味方につけてがんばるしかないだろう。きっと茨の道だろうけど、これは一番やりたいことだから、インセンティブを保持しながらやって行けると思う。すべて英語で形にして行くことを自分に課した。海外での認知度はほとんど零に近い。歌舞伎を筆頭とする日本の演劇そのものが依然としてある種の「エキゾチシズム」の色眼鏡で捉えられている位である。そこをなんとかしたい。これが今のところ最大のプロジェクト。2月のアメリカのポップカルチャーの学会では
このあたりのことを形にしたい。何処までやれるかは、はなはだ疑問だし、自信もあるとはいえないけど。やるしかない。

もうひとつのプロジェクトは大衆芸能の歴史を違った側面から切るもの。明治初期の日本から海外に出て行った芸人はけっこういたらしい。たとえば曲芸師のリトル・オーライ坊やのような。日本人の芸人が欧米に打って出て行き、高い評判を受けていたという。むしろ今よりも盛んだったのだはないか。日本人が「内向き」なんてのは、ごく最近のことなのかもしれない。想像を絶するような困難を乗り越えて、「成功」をおさめて帰ってくる芸人も少なからずいたとは、ほんとうに驚きである。けたはずれのパワー!自分にあてはめると、到底無理だもの。



そういう桁外れのパワーをもった人の一人が川上音二郎、川上貞奴である。川上貞奴についてはほとんど知らなかったし、興味もなかったのだが、アメリカの大学院での私の指導教授(演劇専門)が最初に出版した著書が川上貞奴と松井須磨子についてのものだった。その本を読んだのが貞奴に出会った最初。でもその時点では大して興味をひかれなかた。貞奴は夫音次郎とともに海外に渡航、各地、パリ、ロンドン、サンクト・ペテルスブルグ等でショーで観客を魅了したのだという。帰国するとパリ、ロンドン等の劇場の造り、ショーのありかたを日本でもなんとか実現しようとした。それは、旧態依然の日本の演劇界に一石を投ずることはできても、それ以上の改革は不可能だった。


いままでほとんど知らなかった女性、しかも明治の女性となると、これまた資料集めが大変そう。ということでとりあえず図書館から関連本を借り出してきた。そのどれもが、「貞奴=パーフェクトな女性」という図式でくるので、天の邪鬼の私は、「そうじゃないところを暴いてやろうじゃないの」なんて、不遜なことを考えている」。彼女の生涯そのものがさきほどのエンターテインメントの原点、今後のあり方のみならず、海外との関係をもっともよく示しているように思う。