yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

楽しくもあり、辛くもあり

金曜日に指導教授だった日本の中世文学専門家の先生夫妻と、療養中のこれまた博論のコミッティの一人だった現在療養中の日本中世歴史専門家の先生を訪問、そのあとディナーをごちそうになった。楽しくて時が経つのが惜しかった。彼女はここ何年間か、日本には来ていないけど、アジア学会(AAS) の年次大会が来年3月にフィラデルフィアで開かれるので、そのときに再会できる。

ペンの古巣のメンバーにほとんど入れ替えがなかった。2008年にオフィスを訪れたのがここへ来た最後。セクレタリーたちもそのまま、教授陣も変化なし。ここにいると、大学院生に戻ったような気分になってしまう。でも、教授陣は新しい本を執筆中で、改めて、自分自身のふがいなさ、進歩のなさを痛感させられた。アメリカのアカデミアと向かい合うエネルギーがいつまで残っているのかとも、考えさせられてしまう。5年前は考えたこともなかったけど、やっぱり私も歳をとったのだ。ITの大学への導入は日本が完全に遅れてしまっている。年配教授連が抵抗することもあって、おそらくその差は広がる一方だろう。これにもかなり焦りを感じた。

日本語プログラムのディレクターだった先生も本年度いっぱいでリタイアされる。彼女は退職後にやりたいことがおありとのことで、そういう前向きな話をうかがうと、こちらまで元気になる。新しいディレクターは私が大学院1年生のときに彼女もほやほや新米日本語教師だった人である。離婚を経て、頑張っている。それにしてもアメリカ在住女性の強いこと。これも否応なく自分自身と比較をしてしまう。

あとは、博論のコミッティチェアだった先生に会うことだけ。三冊目の本を執筆中とのこと。いちばん厳しい先生で、きっと「あなた、なにやってたの?」っていわれそうな気がする。こういう「焦り」を日本にいる限り、あまり感じないでいられるのが、問題なんだろう。私のように状況に流されやすい人間は、日本のようなぬるま湯にいると、自分を甘やかし続けるだけである。言い訳はあるけど、それでもアメリカの人たちに比してより深刻なわけではない。自分が恥ずかしかった。

今回困っているのは、iPhone を持ってこなかったこと。日本のものは(SoftBankの策略で)こちらではカードを差し替えても使えないと聞いていたのだが、何か方法があるとのこと。それかこちらのiPhoneを手にいれてもよいかも。テンポラリーに契約できるWiFiもあるとのことなので。