yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

シネマ歌舞伎 怪談 牡丹燈籠(ぼたんどうろう)@塚口サンサン劇場9月7日

2007年10月、歌舞伎座での公演を収録したもの。以下が松竹サイトから採った詳細。

<スタッフ>
演出 戌井市郎
脚本 大西信行
原作 三遊亭円朝

<キャスト>
伴蔵 十五代目片岡仁左衛門
三遊亭円朝/船頭/馬子久蔵 坂東三津五郎
萩原新三郎 片岡愛之助
お露 中村七之助
女中お竹/酌婦お梅 中村壱太郎
お米 中村吉之丞
お国 上村吉弥
飯島平左衛門 五代目坂東竹三郎
宮野辺源次郎 中村錦之助
お峰 坂東玉三郎

<あらすじ>
浪人萩原新三郎(愛之助)に恋い焦がれて死んだ旗本飯島平左衛門の娘お露(七之助)は乳母のお米(吉之丞)と、毎夜新三郎のもとを訪ねてくる。二人が幽霊であることを知り、金無垢の海音如来と護符で身を守る新三郎。お米は下男の伴蔵(仁左衛門)に、お札を剥がして欲しいと頼む。世話になっている新三郎を殺させるわけにもいかず、幽霊の祟りも恐ろしいと伴蔵が迷っていると、女房のお峰(玉三郎)は、百両をもらって取引をするよう、伴蔵をけしかける。伴蔵が百両と引き換えに如来像をすり替え護符を剥がすと、新三郎はお露の幽霊に取り殺されてしまう〈第一幕〉。一年後。伴蔵とお峰は江戸から逃げ、故郷の栗橋で商売を営んでいる。一方、愛人の旗本宮野辺源次郎(錦之助)に平左衛門(竹三郎)を殺させた平左衛門の愛妾お国(吉弥)は、栗橋で物乞い暮らしをしていましたが、今は茶屋笹屋で女中をし、さらに伴蔵の妾となって、源次郎との生活を支えている。そんなある日。笹屋に入った若い奉公人お梅(壱太郎)の素性を知って、お国はぞっとする。お梅は、お国と源次郎が平左衛門とともに殺してしまった、お竹の実妹だったのだ。しかも今日は、お竹の一周忌。その夜、乱れ飛ぶ蛍の群れにまぎれて源次郎は発狂。お国ともども自らの刃で息絶えてしまう。伴蔵とお国の仲に嫉妬して、怒り心頭のお峰だが、今夜は伴蔵にもてなされて上機嫌。しかしふとお峰が振り向くと、刀を振りかざした伴蔵が立っていた…〈第二幕〉。カラン、コロンという下駄の音を響かせ、牡丹燈籠を手に現れる女の幽霊。中国の説話をもとにしながら、幽霊よりも人間の業の恐ろしさを描く。

<みどころ>
三遊亭円朝の傑作『怪談 牡丹燈籠』は、明治25年(1892)に三世河竹新七の脚色により歌舞伎座で上演され、空前の大当たりとなりました。以来、人気演目として今日に至っていますが、シネマ歌舞伎にもなった中国の昆劇『牡丹亭』もその下敷きとなったと言われています。今回上映致しますのは、平成19年10月の歌舞伎座公演の舞台映像で、台本は、昭和49年(1974)年に大西信行氏が文学座のために書き下ろしたものです。言葉は口語に近く、人物像もより深く掘り下げられた、笑いどころも満載の、現代版『怪談 牡丹灯籠』になっています。

伴蔵とお峰は、18年ぶりに仁左衛門玉三郎が演じ、イキの合った絶妙な夫婦のやりとりを見せています。そこに、萩原新三郎(愛之助)とお露(七之助)、宮野辺源次郎(錦之助)とお国(吉弥)の二組の男女の物語が重なり、幽霊よりも怖い人間の業の世界が展開してゆきます。カラン、コロンという下駄の音を響かせ牡丹燈籠を手に現れる、お露とお米(吉之丞)の二人の幽霊の怖さとおかしみも見どころです。また、この大西本は、原作者である円朝が舞台にも登場して高座で『牡丹燈籠』を「噺す」という趣向をとっており、こちらも三津五郎の力演によりたっぷりお楽しみいただけます。

予想どおり、仁左衛門玉三郎の夫婦が絶妙の味をみせていた。2007年だから、玉三郎はすでに歌舞伎の舞台には出なくなっていた頃だろう。だからこの組み合わせは往年の「玉・孝時代」を知るファンには垂涎ものだったに違いない。これ以上ないほど息が合っていた。しかも、かっての美男美女の恋人同志ではなく、中年の、それもいささか疲れた風の夫婦を演じたのだから、これも希少である。観ながら、何度も唸ってしまった。玉三郎は今も余り変っていないけど、仁左衛門が先日の歌舞伎座の折よりも、はるかに精悍な感じだった。

円朝として噺をする三津五郎も良かった。噺家、それも江戸前の高座を完全にマスターするのは、いくら三津五郎といえども、大変だっただろう。ほぼ完璧なできばえだった。この三津五郎、人の良い馬子も演じ、お峰の玉三郎に手玉にとられた挙げ句、伴蔵の秘密をばらしてしまうところは、客席からは笑いの切れ目がないほどだった。こういう面をもった役者だったとは。現在、癌で療養中だが、早く元気になって、復活して欲しい。地味な印象だったが、なんのなんの、これほどの力量は亡くなった友人の勘三郎といい勝負である。この人の方が素直な芸である分、より難易度が高いと思う。

お露役も大事な役なのだが、七之助がまわりのベテラン陣から、完全に浮いてしまっていた。あの棒のような身体、所作、なんとかならないのだろうか。今もその傾向がある。表情にも柔らかさがないので、素の「男」が見えてしまっていた。玉三郎をよくみならって、謙虚に研鑽を積むべきである。

それを補って余りあったのが、お露の乳母、お米の中村吉之丞だった。さすが播磨屋の大番頭。そこに立っているだけで、「うらめしさ」が漂ってきて、これ以上ないほど幽霊の臨場感を醸し出していた。アッパレ!あまりに感心したので、もっと詳しい情報を求めてネット検索をかけた。その結果が以下である。

中村 吉之丞 (二代目)
プロフィール
女方。容姿に優れ、実力もあるベテランである。早くから老け女方の名手として高い評価を受けてきた。『仮名手本忠臣蔵』六段目のおかや、『双蝶々曲輪日記―引窓』の母お幸など、情のある老母に深い滋味がある。その一方で世話物の憎々しい因業婆ァも上手い。近年は『彦山権現誓助剣―毛谷村』の後室や『祇園祭礼信仰記―金閣寺』の慶寿院尼など、時代物の品と格が必要な老女役も演じている。貴重なわき役である。

芸歴
▼ 昭和7年4月5日生まれ。17年三代目中村時蔵に入門。18年8月歌舞伎座『海軍』のハワイ二世少女役で中村蝶丸を名のり初舞台。同年10月初代中村吉右衛門の弟子となり、三代目中村吉三と改名。27年1月歌舞伎座『松浦の太鼓』の茶屋の娘で中村万之丞と改名し名題昇進。平成6年9月歌舞伎座『引窓』のお幸で二代目中村吉之丞を襲名し幹部昇進。

吉右衛門もこういう脇の名優をもっているから、安心して舞台をつとめられるのだと納得。それに比して、中村屋には大した脇がいないんですよね。これから大丈夫なんだろうかと、いささか心配になる。

シネマ歌舞伎だったので、実際の舞台と比較するのは酷なのかもしれないが、個別の役者の巧者をこれだけ揃えている割には、(全体としてみた場合)インパクトが薄かった。期待値が高すぎたからかもしれない。

期待値が高くなっていたのは、以前に観て、強烈な衝撃を受けた舞台があったからである。それは、1993年9月京都南座の「九月花形歌舞伎」だった。脚本も演出(大西信行脚本、戌井市郎演出)もこの2007年度のものとまったく同じである。どこか違ったのだろうか。以下がそのときのキャストである。

萩原新三郎・下男伴蔵・関口屋伴蔵 = 坂東八十助(5代目)
娘お露・伴蔵女房お峰 = 中村時蔵(5代目)
船頭・三遊亭円朝・馬子久蔵 = 尾上松助(6代目)
愛妾お国・笹屋お国 = 中村芝雀(7代目)
宮野辺源次郎 = 坂東秀調(5代目)
飯島平左衛門 = 片岡芦燕(6代目)
酌婦お絹 = 中村亀鶴(初代)
医師山本志丈 = 松本幸右衛門(初代)
乳母お米 = 松本幸雀(初代)
仲働お六 = 坂東玉之助(4代目)
女中お竹・酌婦お梅 = 中村京妙(初代)
丁稚定吉 = 八一
手代文助 = 信吾
ぽん太 = 尾上徳松(初代)
通行の商人 = 松本錦弥(3代目)
通行の飛脚 = 燕一
通行の女房 = 中村時枝

違っているのは、「花形歌舞伎」だったこと。そして、三津五郎(当時は八十助)と時蔵が二役を演じたことである。この二役が芝居を重層的にみせるのに成功していた。搾取された幽霊(新之助、お露)が搾取した側の人間(伴蔵、お峰)と実は同じ者だった。こういう透かし、二重写しを展開することで、この世とあの世とが分ち難く結ばれていることが、観客にはっきりと示される。その意味で二役は物理的な必然だった。今回なぜそうしなかったのかが、疑問である。

この京都南座公演の詳細は歌舞伎データベースサイトで入手した。この舞台に出会ったのが、アメリカの大学院で「三島歌舞伎」で博士号を採ろうと考え、歌舞伎を観始めた頃だった(不純な動機!)。場所と月、そして主要な役者は覚えていたけど、その他はうろ覚えだったので、このサイトさまさまである。

詳細をみていて気づいたことがある。円朝を演じたのが尾上松助だったこと。平成17年に亡くなったのだが、息子が今活躍中の尾上松也である。できの良い息子に、あの世で目を細めていることだろう。