yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『連獅子』中村歌昇改め 三代目 中村又五郎襲名披露
中村種太郎改め 四代目 中村歌昇襲名披露」@岸和田浪切ホール7月26日

『連獅子』は襲名した二人の役者、中村又五郎、中村歌昇親子の舞だった。

又五郎は代々播磨屋の番頭にあたる重要な名跡で、初代吉右衛門の薫陶を受けた二代目の又五郎は、播磨屋一門の指南役として、長きに渡って後輩若手役者の指導にあたってきた。テレビの「鬼平シリーズ」でも何度か重要な役で登場、池波正太郎との縁の深さを知らしめた。池波は又五郎を高く評価していた。三代目の又五郎は三代目中村時蔵の息子、二代目中村歌昇の長男である。だから、三代目は二代目とは血のつながりはない。どちらかというと、播磨屋とより萬屋との関係が濃い。今回の襲名は、又五郎の名跡がなくなってしまうことを惜しんでの処置だったのに違いない。また、その長男の種太郎が子息が歌昇を継いだ。というわけで、二重におめでたい襲名になった。このお二人の襲名披露公演は2011年から始まっていたのだが、私が観たのはこれが初めてである。

『連獅子』は見応えがあった。以下松竹の「歌舞伎美人」からの引用。

連獅子(れんじし)
文殊菩薩の浄土と言われる唐の清涼山に架かる石橋にやって来たのは、狂言師の右近と左近の親子。手獅子を携えたふたりは、親獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てるという故事を踊ります。

 その後、ふたりの旅僧が現れますが、互いの宗派が違うことがわかると宗論を始めます。やがて、親子の獅子の精が現れ、獅子の狂いを勇壮に舞い納めます。この獅子の毛振りが見どころの長唄舞踊です。

息子との、ときには孫との共演が見物であるこの演目。以前にみた組み合わせでは、團十郎と新之助(現海老蔵)、仁左衛門と孝太郎、勘九郎(十八代目勘三郎)と勘太郎(現勘九郎)、鴈治郎(現坂田藤十郎)と翫雀、扇雀、幸四郎と染五郎。強い印象に残ったのが團十郎とまだ十代だった現海老蔵の「石橋」だった。「この子獅子、上手い!」と感心したものである。

今回の親子共演もなかなかのものだった。なんとなく互いを気遣っているような、そういう優しさが感じられた。『連獅子』の主旨とは外れてしまうが。子獅子がそんなに「若い」わけではないし(現在25歳)、体力的にも危うさはなく、その点でも安心して観ていれた。

でもそれよりも感心したのが、合狂言で僧遍念を演じた種之助と僧蓮念を演じた米吉の二人。種之助は新歌昇の弟、つまり新又五郎の次男、米吉は新又五郎の兄の歌六の息子だから、新歌昇と種之助の従兄弟にあたる。おそらく歌昇、種之助と米吉は兄弟同様に育ったのだろう。狂言での息はこれ以上ないほどあっていた。そのおかげで、狂言の滑稽の精神を絶妙の間の取り方で表現できていた。この合狂言を他の『連獅子』で観たことがないのだが、単に忘れてしまっただけなのかもしれない。とにかく、私にとってはとても新鮮だった。

以下の写真は松竹サイトからのもの。左から新歌昇、新又五郎、そして吉右衛門である。