yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ハンガリー国立歌劇場オペラ公演での迷惑客

去年8月のキエフバレエの公演以来の神戸文化ホール。昨日(6月30日)のこのホールでの公演は本当に不愉快な思いをした。二階席だったのだが、公演中、臨席のかなりオーバーウィエトの夫婦の夫の方が終始しゃべっていて、舞台への集中がかなりそがれた。再三注意してもきかない。二幕目の幕間で女性の係員に本人に注意をお願いした。でも三幕目が始まってもおしゃべりを止めないので、かなりきつい調子で、「止めて下さい」と言ったら、そのあとは囁き声になった。でもやっぱり最後まで止めなかった。挙げ句の果てにカーテンコールのとき、「二階席なんだからしゃべって当然」なんてことを妻に言っている。これには開いた口が塞がらなかった。「病気ですね」と止めをさしたら、殴り掛かってきそうになった!

でも、やはりこれはある種の症状なんだと思う。同僚にも似たタイプがいるから。「ADHD」の典型的症状である。「注意力がなく、落ち着かない、そして過度におしゃべり」という人はけっこういるものである。15年ほど前、留学中のアメリカでこの病名を初めて聴いたが、その頃は日本での認知度は低かった。アメリカでは初等教育現場での取り組みがすでに行われていた。最近になって、日本でもメディア等でこの病名を目にするようになったところをみると、なんらかの対策が採られるようになってきているのかもしれない。ただ、日本のように「個人主義」ではなく「集団主義」の色合いが濃いコミュニティでは、そういう人も「温かく見守る」という傾向が強い。その結果、そういう人も「甘えの構造」の中で、きつく「しつけられる」こともない。だから本人もあえて「矯正する」必要を感じないでいれるのかもしれない。対人意識が薄く、またそれを直す機会がなかったので、人の迷惑が理解できないのだろう。

こういう人はやはり本人に自覚させる必要があると思う。実際欧米の劇場で公演中おしゃべりをしている人はみかけたことがない。日本でも、東京の劇場——歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場、東京文化会館、東京芸術劇場——では、こういう人に出くわしたことはない。ただ関西の劇場では厭な思いをした経験はある。それも大衆演劇の劇場ではなく、京都南座、国立文楽劇場でである。関西人はおそらく東京の人たちに比べて甘えの構造にどっぷりと漬かっている所為かとも思う。

もちろん防ぐ手はある。たとえば歌舞伎座、新橋演舞場では公演開始前に「開演中のおしゃべりは他のお客様の迷惑になりますので、なさらないでください」というアナウンスがある。しかも開演中は、係員(男性の場合も)がおしゃべりをしたり、物音を立てた人のところに行って注意している。加えてかなりの数の係員が交替でブロック毎に見張っている。これではおしゃべりしたくともできないだろう。これ位のことをしないと、病気の人は迷惑行為を止めないのではないだろうか。

神戸文化ホール、入場料はたしかに低いのだがこういう問題を解決しない限り、離れる客もいると思う。現に私が係員の人にクレームを言っていたそのあとにも、年配の男性が同じクレームをしていた。もっともそれは別の客のことだったけど。神戸ではかなりの確率でこういう迷惑客にあたるのかもしれない。そういや、今までのところ西宮の芸術文化センターでは皆無だった。だから一概に関西の客にこういう人が多いとはいえないのかもしれない。来日公演の中でも比較的低料金のもの(ロシア、東欧系の公演)はこの神戸文化ホールですることが多い。すでに取ってしまった3ヶ月後の公演チケットがあるけど、行くかどうか、迷ってしまう。関西での海外のオペラ、バレエの来日公演は芸文センター、びわ湖ホール以外のところでは、観劇を止した方がいいのかもしれない。