yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

海老蔵 in『伊達の十役』、五月花形歌舞伎@京都南座5月8日

正式名は『慙紅葉汗顔見勢』。海老蔵はこれで三回目の主演になる。私にとっては去年8月、新橋演舞場でみて以来になる。それについてはこのブログにも書いた

構成は前回と同じで、海老蔵の口上から幕を開ける。頬が少しこけて、ちょっと痩せた感じがした。口上の声も前にみたときより幾分トーンが下がっているような気がした。新橋演舞場では海老蔵が間近にみえる席だったのに、昨日の南座は三階席のそれも後ろの方だったから私自身が感じる迫力が違っていたからかもしれない。

口上でパネルを使って、演じる十役の説明をしてみせるのも、前と同じだった。これは観客にとって親切な工夫である。善悪入り乱れての役を次々と演じ分ける海老蔵も大変だが、観客も五感のみならず頭も使って必死でついてゆかなければならず、これまた「疲れる」作業の連続だから。

構成も去年のものとほぼ同じ、役者も主要なところは同じである。ただ違うのは乗った舞台。そこで関西の舞台と東京の舞台との差を思い知らされたように思う。南座の三階席はロンドンのバービカン劇場のようにキツイ傾斜になっていて、舞台が奈落の底にあるような感じがする。前の人の頭が気にならずに舞台が見渡せるのは良いのだが、それでもどこか不安定、しかも舞台が遠い感じがするのは否めない。バービカンでシェイクスピアの芝居を2回みたが、二度とみる気がしないのは、あの奈落の底が好きになれないから。同じことが南座にもいえる。新橋演舞場はそれに比べると「観客に優しい」劇場である。どこにいても舞台が近い感じがする。歌舞伎はこういう劇場でこそ演じられるべきだと思う。

発端の場では海老蔵はじめ他の役者の声が通らなかった。劇場の造りの問題もさることながら、下座音楽が煩かった。なくてもよいし、必要と思うならもっと音を落とすべきだろう。三階席には役者の声が通らず、芝居の土台になる発端部分がまったく生きていなかった。二幕以降は下座もトーンダウンしたので、かなりマシにはなったが、このあたり考慮して欲しい。三幕目の浄瑠璃語りは役者との掛け合いに必須、三味線もそれを補充、補強するのに必要だから、むしろなくてはならない役割を担っているが、発端部の下座は必要かどうか、首を傾げざるを得ない。

それとこれは役者の責任でも裏方の責任でもないのだが、観客のエネルギーが新橋演舞場ほど感じられなかった。顕著だったのは大向こうさんがいなかったこと。南座付きの大向こうさん(何人かいるはず)は大抵は三階席に陣取っているが、今回はそれがなかった。だからからか、かけ声がほとんどかからず、役者もやりにくかっただろう。一緒に行ったつれあいが、「歌舞伎が初めてという人が多かったのでは」と言っていたが、私もそんな風に感じた。演者の演技が決まった瞬間に、歌舞伎好きが間髪をいれずかけるかけ声ほど、舞台を沸かせるものはない。完璧に芝居の一部なのだ。それがなかったのは、たまたま昨日だけのことなのか、そうだったら良いのだが。かけ声のかからない舞台なんて、役者も張り合いがないこと夥しいに違いない。昨日は一階席で「成田屋」というのが、ほんの2回ほどかかったのみだった。

新橋演舞場でみたときと違ったのは海老蔵にもいえる。「パワ―を出し惜しみしているんじゃないか」なんて、勘ぐってしまった。確かに4時間を超える長丁場、全力疾走は大変だろう。昼の部でも主役を張らなくてはならないわけだし。千秋楽までまだ20日近くあるし。でも残念だった。本拠地ではない南座の舞台、観客も東京とは違う。上方特有の雰囲気も彼の気質とはそぐわないかもしれない。でもここで一番、成田屋の気概を目一杯見せて欲しかった。初心者の多い(?)観客をそのパワーでねじ伏せ、我がものとして欲しかった。

第三幕「奥殿の場」(『伽蘿先代萩』)、陰惨な場ではあるが、海老蔵の女形はここでの政岡が一番説得力があった。高尾大夫、累などの若い女を演じると、立ちが無理して演じているようで、ちょっと白けた。これを逆手にとって、オカシミを全面に出すやり方もありではないか。先日亡くなった勘三郎ならそうしたのじゃないかなんて、思ってしまった。

この幕の市川右近の八汐は安定していて、その悪ぶりにどこかオカシミさえ感じさせる余裕だった。あらためて、この人にしか演じられれない役があることを知った。

ここでの千松を演じた子役が良かった。長い台詞をよくぞ覚えただけでなく、きちんと演技までしていて、将来有望な役者になるのでは。

前回と違っていたのは足利頼兼の家臣、山中鹿之助の松也。凛々しくてよかった。同じく家臣の渡辺民部之助の亀三郎、よく響く、よく通る声がよかった。

右近をはじめ、寿猿、猿弥、笑也、門之助、以下今回名題に昇進した若手三人を含む澤瀉屋の面々が、この「三代目猿之助48撰」の一つである『伊達の十役』を演じる海老蔵を全力でサポートしているのが分る舞台で、それにもこころを動かされた。