yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『伽蘿先代萩』竹本義太夫300回忌文楽公演@国立文楽劇場 4月15日

先週の木曜日に友人と夜の部、『心中天網島』をみたが、それについての記事は別稿にしたい。その折、床に近い前の席があまり埋まっていなかったので、この昼の部もしかりかと思ったら、けっこう埋まっていて、ホッとした。つい昨夜、インターネットで席を確保したので、右袖の大夫席の後方という、あまり良い席ではなかったが、一段高くなっている所為か、床の大夫も人形もよくみえて、意外なもうけものだった。

「橋下騒動」以来の文楽劇場の取り組みには目を見張るものがある。とくにその出し物。今までは一つだけハイライトのものがあっても、他はなじみのないものという組み合わせだった。それはそれで意味があるには違いない。でも観客動員の点ではあまり効果的とはいえないだろう。最近の文楽は歌舞伎のように、「有名狂言抱き合わせ」のオンパレードである。なんとこの『先代萩』、『新版歌祭文』と組まれているのである。

今日はことにこの『先代萩』の「政岡忠義の段」に感銘を受けた。大夫は呂勢大夫、三味線、清治という最高のコンビ。呂勢大夫の今日の語りには、鳥肌が立った。亡くなった彼の師匠、呂大夫を彷彿とさせる熱演だった。もちろんその熱演は清治さんの三味線にしっかりサポートされていた。呂勢大夫の語りは重厚かつ剛の代表格の住大夫と、情緒溢れる柔の嶋大夫のちょうど中間にある。どちらかというと、柔よりかもしれない。柔は柔でもパッショネートな力強い柔で、嶋大夫とは一線を画している。今日のこの段、特に熱がこもっていて、文楽の芝居ではあまり「ほろり」としたりはしない私が、思わず涙ぐんでいた。歌舞伎の『先代萩』では泣いたためしがないのに。

その部分があの有名な政岡の口説きの以下である。我が子千松を八汐になぶり殺しにされるのを、見届けざるを得なかった政岡。それも若君を守るためだった。しかし、人が去った座敷で千松を抱きかかえての嘆きである。

思ひ回せばこのほどから唄ふた唄に『千松が七つ八つから金山へ、一年待てどもまだ見えぬ』と唄の中なる千松は待つ甲斐あって父母に顔をば見せることもあろう。同じ名のつく千松のそなたは百年待ったとて千年万年待ったとてなんの便りがあろぞいの。三千世界に子を持った親の心は皆一つ、子の可哀さに毒なもの食ふなというて叱るのに、毒と見えたら試みて死んでくれいという様な胴欲非道な母親がまたとひとりあるものか。武士の胤に生まれたは果報か因果かいじらしや、死ぬるを忠義といふ事はいつの世からの習はしぞ。

グロテスク趣味のみならず、サド/マゾヒズムの横溢する舞台。加えて迸り出る母の我が児への愛。それを語るには、その内容の重さに対抗するだけの力をもった「語り手」が要請される。それは年配者ではなく、壮年の大夫、それも力強さが全面に溢れ出てる人こそ相応しい。その要請に呂勢大夫はしっかりと応えていた。今まで観てきた呂勢大夫は、そのパワーがどちらかというと適材適所的に発揮できていなかった。どちらかというと、「そこまで力まなくてもいいんじゃない」ってな部分がいささかあった。しかしながらである、この『先代萩』では、彼のパッショネートな語りがようやく最も相応しい居場所を見いだした観があった。