yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ルス・レンデル(Ruth Rendel) のサスペンス小説『Vault』(2011) 4月10日

イギリスから帰国する際、トランジットのスキポール空港のゲートでのイミグレーションの手続きがあまりにも遅々として進まず、2時間もイライラ待ちするくらいならとゲート傍の売店で購入したのだ。でもその間も、機内でもあまり読めず、結局帰国してから読むことになった。帰国してからも仕事が立て込んでいたし、夜は夜で芝居に出かけたので、なかなか読む時間がとれなくて、やっと日曜日にまとめて読むことができた。サスペンスをよむとき、堪え性のない私としては、めずらしいことだった。それも、このサスペンス、推理の過程、結末の意外性といったサスペンスの醍醐味よりも、むしろヒューマンドラマの要素が濃かったためだったと思う。

ルス・レンデルの作品はずっと昔、翻訳で何冊か読んだ。当時、P.D. ジェイムスの作品に惚れ込んでいたので、そのついでに(?!)寡作のジェイムスとは対照的なレンデルがどんな作品を書いているかに興味があった。でもどうしてもジェイムスのどこか「浮世離れ」したというか、「哲学的」、衒学的趣味が横溢する作品と比べると、あまりにも現世的な感じがして、好きになれなかった。それにしても、この方、御歳83歳!この作品が2年前で、その後も2冊出版とは!ものすごいエネルギーと頭脳だと感心至極である。因みにジェイムスの方も元気で、ロンドンのチャリングクロス駅売店の棚に最新作、『Death Comes to Pemberley』(2011)が並んでいた。「オースティンの『高慢と偏見』の主人公、エリザベスとダーシーの結婚後に起きた事件を扱っている」という解説が裏表紙に付いていたので、猛烈に興味がわいたのだけど、帰りの荷物が増えるのがイヤだったので断念した。Kindle Storeでみると、9ドル弱だった。5ドルを切れば買おうと思う。

以下はレンデルの写真。近影ではないだろうけど。

私が歳をとったせいだろう、レンデルのサスペンスの魅力が少しは分った気がする。このサスペンス、Wexfordという(元)警部のシリーズものの一つである。このシリーズはすでに20冊を超えているところからみると、彼女の代表シリーズ、いわば池波正太郎の「鬼平シリーズ」にあたるものなんだろう。そういえば、この作品の中に出てくるロンドンの街角の、それも中心部から郊外に至るまでの克明な描写には、往時の江戸を隈なく活写した池波との共通点がいくつも見いだせた。鬼平を読んだ時と同様、次回ロンドンに行った際にはぜひともWexfordの足跡を辿りたいと思ったほどである。

鬼平との共通点はそればかりではない。サスペンスの形をとったヒューマンドラマが展開するところもそれである。『Vault』の場合、Wexfordの私生活、特に女優をしている娘の遭遇する「事件」、それに絡む彼女との心理的な葛藤、そしてそれがそのまま事件の中の人間関係を解く手がかりになるところなど、プロットが二重立てで組まれていて、まさに「鬼平」の世界を彷彿とさせる。また、この今は現役を退いたWexfordと現警察の人間との関わりなどは、「剣客商売」の秋山小兵衛と彼の周辺の関係が被ってきたりする。

長い文章を極力排した文体で、切れ味がよい。それでいて季節の移り変わりの草花、木々の描写など、秀逸だった。こういう点も池波との共通点を感じる。

Amazon.comのレビューはあまり良くなかった。おそらく、12年前の殺人と2年前の殺人との間にあまり相関性がないこと、そして12年前の殺人の犯人の死に方があまりにも不自然なこと(被害者を放り込んだ穴(vault)に自身も転落死するのだ)、2年前の殺人にあまり意外性がないことなどが、理由だろう。でもちょっと視点を変えて、これを人間の愛憎劇としてみると、非常に凝った作りになっているのが分る。サスペンスそのものではなく、それにまつわるヒューマンドラマと捉えると、かなりよくできた作品である。とくに、Wexfordが人を見る目の温かさ、そして自分の娘たりといえども、批判的にみれるその冷静さ、さらに同朋の英国人(とくに中年女性)の移民に対する扱いの非道さに対する鋭い批判は、「イングリッシュマンの良識」健在ぶりを示しているようで、とても興味深かった。