yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『下町人情』in 都若丸劇団@新開地劇場4月3日

このお芝居、『文七元結』のアレンジ版だった。剛さんが大工の熊五郎、若丸座長がその女房、おかつ、文七を星矢さんで以前にもみたことがある。この配役はそのままだったが、細部は変更がかなりあったように思う。こんなお芝居を可能にするには、それだけの精進があったのは確実だろうが、それ以上に才能と頭が要るだろう。客をひきこみ、楽しませるにはどういうストーリーの流れにするのがいちばんぴったりくるのか、プロットをどう構成するのが客に分りやすいのか、話の重点をどこにおけばパンチがきいた内容になるのか、そして、アドリブのような自由度の高いところをどう調整するのがいいのか、各役者に任せるのがいいのか、座長がある程度仕切るのがよいのか。そんなもろもろを一切合切計算して舞台を作るには、努力や精進、それに経験だけでは不足である。それらに加えて、生来の才能、そして時代を引き受け、先取りするセンスがなくては、不可能である。創意工夫を生み出す頭脳も必要である。都若丸という役者はそれらをすべて備えた役者。

縛りにとらわれず、新しいバージョンを生み出すという気概は、「傾く(かぶく)」からきた歌舞伎のものであったはずである。それが長い年月の間に、いつしか形骸化、形式化して、形そのものを既存の「伝統」として守ることに終始してしまうという弊害も生んでいる。たしかに最近の若手(花形)の活躍は目覚ましいものがあるが、それでも上に重しがかかった状態では、冒険をするのは大変だろう。その点、旅芝居とよばれる大衆演劇(いわゆる小芝居、中芝居)の方が、歌舞伎本来の「傾く」精神を保っているのかもしれない。私が大衆演劇に惹かれるのは、一にも二にもそれが理由である。でも残念ながら、多くの劇団のレベルは高いとはいえない。日替わりで芝居、舞踊の演目を替えなくてはならないので、稽古を十分にする時間、余裕がない。こういう悪条件の中で、それでも燦然と輝く劇団がいくつかあるのだ。その中でも一番(the best of the bests)は文句なしに都若丸とその劇団である。

剛さんもこの座長と張り合うだけの実力をもった副座長である。剛さんの熊五郎が若丸おかつにいびられる場面、彼の力がなくてはただ嬶の亭主いびりにすびなくなるが、対等に渡り合える彼だからこそ、この場面が生きる。笑って、笑って、お腹の皮が捩れそうだった。妹を「下働き」として女郎屋に置いてきたという剛さんに、若丸おかつは「『下』て下でしょ」と迫る。「ちがう、その下じゃない。昼間からそんな話はない。お客さんに失礼」と応える剛さん。「皆さんそういう(シモネタ)を期待してんですよ」と座長。そのあとも延々と座長の暴走がつづき、困り果てる剛副座長。二人で客席の追い駈けっこまで加わって、客席を巻き込んでのドタバタ劇。いつもながらのスラプスティックスだが、今回は一層のブラッシュアップ版だった。いびられまくった(いじられまくった?)剛さん、ちゃっかりと後で屏風を使って逆襲していた。これも可笑しかった。

こういうソフィスティケイトされた人情芝居をみたいなら、ぜひとも新開地劇場に足をお運びください。新派を超えたものが申し訳ないような低料金(1800円)でみられますよ!そういや5月、6月は横浜の三吉演芸場の公演。関東の方はぜひともお出かけください。てな「コマーシャル」をしたくなるほど、優れた劇団なのだ。でも私としては、もっと関西のメジャーな劇場に乗ってほしい。おかしいでしょ、これだけの劇団がマイナーな温泉場を回っているなんて。