yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ルパート・エヴァレットin『ユダの接吻』@Duke of York's Theatre、ロンドン、3月27日

“The Juda’s Kiss” @the Duke of York’s Theatre, matinee, March 27

あのノトリアスな「男色裁判」(Queensberry Trial)の前後のオスカー・ワイルドとその愛人のダグラス卿[通称ボッジイ]、同じくワイルドの愛人のロスとの三角関係を描いている。「ソドミー」の咎で愛人のダグラス卿の父親の公爵に訴えられたワイルド。裁判の敗訴を予測して彼を海外へ逃そうとするボッジイとロス。しかし、ワイルドは彼らの忠告をはねつけてとどまり、収監されてしまう。それが第一幕。第二幕は出獄し、イタリアで過ごしているボッシイとワイルドを描く。ボッジイは別に愛人を作っている。それをワイルドは受け入れているかにみえる。すっかり老いたワイルドをロスが訪ねてくる。ワイルドの失意の晩年を予測させて終わる。でもどこか達観したかのような彼の姿は崇高ですらある。

舞台が開いて間もなく、これは三島の『サド侯爵夫人』のアリュージョンだと思った。『サド』が女性のみのプロダクションに対して、こちらはメイドを除いて男性のプロダクション。全編が会話のバトルに終始するところも同じである。また、設定にも類似点が多い。つまり、『サド』では収監されているサドを巡る夫人のルネとその母、そして妹、それをとりまく貴族階級の女性たちのあいだの心理的駆け引きを軸に話が回転する。一方『接吻』の方は、これから収監されるワイルドを巡る愛人たちの騒動を描いている。その収監の理由が「ソドミー」であるのも同じである。もっともこちらはいわば「後日談」に一幕割いているが、『サド』の方は、ルネが出獄し、訪ねてきた夫の侯爵と会うのを拒むところで「あっけなく」終わる。

パンフレットに作家のDavid Hareへのインタビューが載っていたが、そこには三島への言及はなかった。でも気になったので、ネットで彼の経歴を当たった。1947年、イギリス生まれ、大学はケンブリッジ。大学時代に学生演劇を主催していたらしい。いろいろと賞を受賞している。 作品の中にPleasure Principleというタイトルのものが入っていたので、「ははぁー」と思った。フロイトの有名な精神分析の論文のタイトルだから。三島の『サド』を読んでいるのはほぼ間違いないように思う。そしてあえて下敷きに使ったのだろう。このあたり、私も論文にしたい。恰好の研究対象ができた。

さて、役者である。主演のルパート・エヴァレット、いくつかの映画で彼を見てきたが、舞台は今回が初めて。舞台写真が以下である。

これからも分かるとおり、イメージが今までとまるで違っている。綿を詰めて(?)細い体を肥ってみせているだけではなく、いつものような気取ったマンネリズムを払拭して、重厚さを演出している。声も今まで私が知っていた彼のものとはまったく変えられていたので、それだけでは彼だと判断できなかっただろう。私のイメージにある彼の発声法は鼻にかかった、そしてイギリスアクセントを際立たせたものだった。この芝居ではワイルドがアイリッシュであることを意識し、従来の発声法を根本的に見直したものになっていた。

ダグラス卿のフレディ・フォックスは金髪の美形。『アナザー・カントリー』でエヴァレットが演じたガイの相手役(名は忘れた)によく似ている。そういや、この映画、ビデオで(まだDVDが一般的でなかったので)100回以上観ただろう。『ブロークバック・マウンテン』にも入れあげたが、こちらはせいぜい30回といったところ。『アナカン』にいかにはまっていたかがお分かりいただけると思う。セリフもほとんど覚えてしまった。だからエヴァレットには並々ならない親近感を勝手に抱いているのだ。他の役者では執事役のアリスター・キャメロンが秀逸だった。でもなんといっても、エヴァレット!ワイルドをここまで「崇高」な像に高めることができたのは、一重に彼の演技のおかげである。彼自身のキャリアにも一つの栄光を付け加えただろうし、演劇界においてもエポックメイキングだと思う。

好意的なインディペンデンス紙の批評のリンクを貼っておく。

まだ始まったばかりなので、今後この舞台を観客がどう育てるのかが見ものである。それにしてもロンドンの観客のレベルの高いこと!観客については帰国してから別に書きたい。この舞台を「理解」するには相当の教養が必要である。歌舞伎が「教養」をさほど必要としないのに比して、ロンドンの演劇の重いこと。文学的教養は必須である。でも、それが実にさりげないのが、つまり、「備わっていて当然」という感じでそこにあるのが、こちらの舞台のすごさなんですよね。観客を選ぶ舞台なのである。歌舞伎の役者さん、ちょっと羨ましいでしょう。

私も辞めてフリーになったら、ロンドンへは年に一度は舞台をみに来たいものである。自分を鼓舞するためにも。

以下がエヴァレットのワイルド。
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エヴァレット、ボッシーのフォックス、それにフォックス役のキャル・マカニンチ