yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

池波正太郎の『人情紙風船』評

今年の2月に前進座の『赤ひげ』を京都の南座でみて、あまり感心しなかった。その記事に、ずっと以前に観た前進座役者による『人情紙風船』(1937)がすばらしかったと書いた。ずいぶん昔、京都文化博物館での名画再上映の特別期間中に観たのだが、残念ながら再見する幸運には恵まれていない。監督の山中貞雄はこの映画の後、出征して、戦死した。本当に残念である。

この映画について、池波が『自選随筆集』に一章をさいていた!書き出しは、「昭和十年代の新国劇と前進座の活況は、すばらしいものだった。ことに映画に進出した前進座は、稲垣浩や山中貞雄の監督で、つぎつぎに秀作を送り出したものだが、わけても山中監督がPCL(現東宝の前身)へ入社して前進座を招き、撮りあげた<人情紙風船>の世評は現在も高い」で始まっている。続けて、前身座一党の演技はまるで水を得た魚のように溌剌としていると評している。

そのあと、映画中の中村翫右衛門の新三と菊五郎(もちろん六代目)が演じた舞台の新三とを細かく比較している。歌舞伎の舞台で私がみたことのあるのは、現菊五郎の新三と、先日亡くなった勘三郎の新三だった。菊五郎のをすでに観ていたので、映画を観た折にすぐに『髪結新三』と気づいたのだ。当時、まったく予備知識なく、単に映画史に残る名作ということでみに行っていたのだ。

あの画面は忘れようにも忘れられない、強烈な印象を残した。溝口に匹敵すると思った。でも一つ一つの場面の細かい部分は、今思いだそうにも不確かなままである。それで、この池波の批評は昔の恋人に再会したような感激をもたらしてくれた。映画には「さえない浪人」海野又十郎の登場する、舞台版にない創作部分が加えられているのだが(そういや、そうだったナ)、そのもっさりした浪人を演じたのが、河原崎長十郎。池波のいうように、名演技だった。池波は、「彼(長十郎)の演技は、彼の舞台と映画で演じた役々のうちでも、屈指のものと私は思う」とまで、断じている。それと、その頃は前進座にいた加藤大介の演技も褒めている。彼を自身の<剣客商売>を舞台化したときに使うつもりが、ガンで急死したのだという。

映画のそこかしこにただよう山中独特のペシミズムを、池波は見逃さない。「<人情紙風船>では、棟割り長屋の人びとのリアルな描写が冴え、海野又十郎夫婦と髪結い新三の最期が近づいてくる」といった描写には、随筆をもドラマと化す彼の筆力が窺えるだろう。映画の中の情景がこの場に立ち上がってくるような、優れた描写力である。彼の小説があれほどまでに人気を博す理由もここにあるだろう。人物、情景描写の巧さは、彼がとことん映画を愛した人だから、それと舞台人でもあったから、可能だったのだ。

おかげさまで、忘れかけていた『人情紙風船』のストーリーの細部を、そして人物像を再確認することができた。