yoshiepen’s journal

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NHKにっぽんの芸能『京鹿子娘道成寺』(前半)in にっぽんの芸能 芸能百花繚乱 女形舞踊の大曲 

たまたまつけたテレビでこれがかかっていた。思わず見入ってしまった。いままで観てきた『道成寺』とは違ったようにみえた。「なぜ?」と考え込んでしまった。中村福助が父、中村芝翫の追善に去年新橋演舞場で踊った曲である。以下がそのときの「チケットぴあ」の記事。

歌舞伎俳優の中村福助が、9月1日に開幕した東京・新橋演舞場の『秀山祭九月大歌舞伎』夜の部で、女方の舞踊の中でも屈指の大曲『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子を勤めている。昨年9月の秀山祭が最後の舞台となった亡き父、七世中村芝翫を偲んでの上演だ。福助に公演への思いを訊いた。

『京鹿子娘道成寺』は、恋に狂った清姫が蛇となって若僧・安珍を鐘ごと焼き殺したという、紀州道成寺に伝わる安珍清姫伝説の後日譚とされている。ただし歌舞伎においては娘の執念よりも、若い娘の恋心を様々な形態で描き出す華やかな舞踊として、多くの人に愛されてきた。2年ぶりに舞う福助は、公演を前に息子・児太郎と共に道成寺を訪れ「歌舞伎役者だけでなく、本当にたくさんの方がなさっている、憧れの踊り」であることを再確認したという。

「踊りが得意だった父が2000年に“一世一代”と銘打って踊り納めたのが、この『道成寺』でした。“父を偲ぶ”という気持ちで勤めさせていただけることは、本当に有り難く感謝しております。『道成寺』は父から手ほどきを受けて、福助襲名の際には六世中村歌右衛門のおじに教えていただきました。ふたりに共通しているのは、品格を大事にすること、根底に“娘”というものが流れていることです。その教えを大切にしています」。今回後見を勤めるのは長男の児太郎だ。「受け継いできたものを、次の世代にバトンタッチしていきたい」という思いがある。

となると、芝翫の踊り方のみならず六世歌右衛門のものも入っているということか。

「花の外には松ばかり 花の外には松ばかり」で始まり、「真如の月を眺め明かさん」で終わる「鐘づくし」では踊りというより能の舞で、折り目正しい所作が凛としていた。時折きっと見上げる顔の傾け方も、しなやかというより、規則正しいというような傾げ方。これも白拍子風でよかった。とくにこの後につづく場面での白拍子から普通の娘への変化が際立つことになる。

衣装の引抜きがあってからは、江戸の娘の踊りになる。吉原に生きる禿から年増花魁にいたるまでの、ありとあらゆる女の生態が「くどき」として描かれていた。このあたり、歌右衛門に倣ってのものなのだろうか。可憐でかわいい仕草のうら若い娘だったのが、やがて恋を知り、その手練手管に通じるようになり、ついには恋の四十八手(?!)を会得したと思わせるような情感をこめたシナのつけかたが、福助の身体からつぎつぎと編み出されてくる。そのサマは実に壮観だった!まるで「恋の百科事典」をみているような気さえしてしまう。

まだおぼこい娘が恋の手練者になるまでを、一つのストーリーとして、その流れの中に描ききっているということが、恥ずかしながらこの福助の踊りをみて初めて分った。今までかなりの数の「道成寺舞踊」をみてきたが、なぜそれにいままで気づかなかったのだろう。

正直、以前はこの舞踊は好きではなかった。途中かなり退屈した。歌舞伎座で歌舞伎見物にきた外国人観光客が中座するのも、(腹立たしいけど)仕方ないかななんて、思ったりしていた。だから、渡辺保さんの「道成寺評」を読んだときにも、あまりピンとこなかった。その本、手許にあると思うので探したが、見つからない。もう一度確認するつもりである。彼の『女形の運命』は幸い見つかったので、中をみてみたが、その件はなかった。ただ、歌右衛門の「道成寺」にかけた執念と、それまでの踊り方との「差別化」のさまが鋭く分析されていた。それから見る限り、歌右衛門の「娘道成寺」、他の踊り手とはかなり違っていたことは間違いない。

『京鹿子道成寺』、私は今の今まで、六代目菊五郎作だと思い込んでいた。実際は遥かに古く、初代中村富十郎作ということである。もちろん、六代目がそれをかなり現代風に変えたのが今踊られている道成寺の基である。

そしてこの福助である。なによりも、口説きの所作を通しての娘の気持ちの流れを、その形態を細やかに、豊かに魅せてくれた。ホント、「恋の百科事典」を展開してくれた。

溢れんばかりの情感、それはおそらくは彼が若い頃は醸し出すのが難しかったものなのではないか。若いとその解釈がちがってくるのは当然である。「浅い」とはいわないが、どこか紋切り型になるのは否めないだろう。難しい踊りである。習った通り踊るだけでも精一杯だろう。だからこの「道成寺」には驚いた。それは彼の身体性が今までとはちがった何かを蓄えてしまったからではないか。

渡辺保は、歌右衛門が伝統的な規範を信じることができずに、自らの肉体の「美」にあくまでも拘泥し、そこから所作が編み出されたという。それはどこまでも無機的に積み上げられた断片の蓄積としての舞踊だった。もしそれが確かなら、この福助の踊りはそれとは一線を画している。福助にも美のきらきらした断片が意識されているのは確かだが、それらは伝統の重みを纏った舞踊の形態をとっている。だから、彼の舞踊は鋭さよりも、いささかの重さを感じさせるものとなっている。

そこから放出されるのは、福助のイメージとして私が抱いていたものとは、まったく様相の異なるなにか得体のしれない気味悪いものだった。私の中では、彼はもっと「明るい」踊りを踊る人だった。でもその踊りの重さが気味悪さを醸し出し、それがこの踊りのテーマになっている「怨念」を描出するのに成功している。

残念ながらこの去年の本公演を見逃しているので、後半を観たい。