yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

尾上菊之助、市川染五郎 in「二人椀久」@新橋演舞場3月7日

踊りの演目としては有名なこの出し物。30分以上の長丁場である。

大坂の豪商、椀屋久兵衛(染五郎)は新町の芸者、松山に心を奪われ、放蕩三昧、その結果座敷牢に閉じ込められてしまう。松山恋しさの余り発狂した久兵衛、座敷牢を抜け出して彷徨うが、松の木の下で微睡んでいる。そこに現れた松山(菊之助)。目覚めた久兵衛と松山はかっての楽しかった時間を思い浮かべながらの連舞となる。しかし、松山の姿はいつしか消えてしまっている。泣き伏す久兵衛。

発狂した男/女が相手を求めて彷徨い、幻の相手に出会って踊るというのは、「松風、村雨」を思い出させる「物狂い」ものである。染五郎はそのどこか頼りなげな様子がこういう役にぴったり。優美な狂いをみせるのは、確かな手が必要だろうが、それも難なくクリアしていて、危なげなかった。ひとつ気になったのが、彼の後ろにぽっかり空いた奈落だった。例の事件があった後なので、菊之助の松山がそこから出てくるまでの数分間、異常に長く感じられた。その間も染五郎の踊りに一分の狂いもなかったが、みている側は緊張感を強いられ、別の意味で息を詰めてみることになった。

そしていよいよ菊之助の登場。この人は先日の観劇でもその優雅さとかわいらしさ、そしてなによりもうまさに舌を巻いたが、今回はそれ以上の突き抜けたうまさに感激した。何度も、「ウマイ!」とつぶやいてしまった。顔の表情が全く変わらないのが、染五郎の表情の豊かさと際立った対比をなしていた。もちろんそれは、彼女がイリュージョンでしかないことを示しているわけだけれど、この「無表情」が生きるのは踊り手の並みすぐれた身体(の動き)があってこそである。顔の傾げ方、上半身の優美な動き、腰のひねり、足の確かさ、こういうものが一体となって、この傾城が久兵衛が恋い焦がれるだけの魅力的な女であることを表現していた。あっぱれ!

二人の踊りの場面はちょっと可笑しかった。というのも、染五郎が菊之助にどこか寄りかかっている風にみえたから。菊之助に甘え、頼っているようにもみえてしまった。役柄がそうなのだろうけど、実際にもそうなんじゃないかと勘ぐってしまうほど、息もぴったりあった上での「睦みかた」で、それがなんともかわいらしかった。歌舞伎舞踊をこんなに楽しく、わくわくとしながら観たのは久しぶり。周りの眠っていた人が目を覚まし、その目が舞台に釘付けになっていた。役者冥利につきますよね。