yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

前進座京都公演『雪祭五人三番叟』、『赤ひげ』南座 1月25日千秋楽

お芝居の前に正月らしく古式に則って三番叟の踊り、『雪祭五人三番叟』があった。これが女性ばかりのもので、珍しかった。西川鯉三郎作舞とのことで、さすがに隅々まで配慮が行き届いた踊りだった。またそれに応えるべく、練習を重ねた踊り手たちの努力跡を窺わせた。この点、日舞が余技である宝塚とは一線を画するだろう。ズシンとくる踊り。表層をなでるような「軽い」宝塚舞踊とは好対照。前進座の女優陣、本気度が違います。新春を寿ぐのに相応しい、明るさに充ち満ちたもので、うきうきした気分が伝染した。これで大衆演劇四劇団の、歌舞伎の、そして前進座の三番叟をみてきたのだが、いずれも演芸が土着信仰と深く結びついていることを示すものだった。年初めに演芸が原点回帰をするというのは、意味があることなのだと、改めて思う。

そして『赤ひげ』。こちらは打ってかわって男性中心のお芝居。結論からいうと、かなりがっかりした。これは脚色と演出の問題である。せっかく力のある役者をそろえているのだから、もう少し工夫の余地があるのでは。ひょとしたら前進座が今ひとつなのは、この辺りに原因があるのではないかと思った。一昨年1月同じく京都南座前進座公演をみたのだが、その時中心にいた川原崎國太郎、嵐芳三郎中村梅之助が欠けているのも残念だった。赤ひげの嵐圭史はさすがに上手かったけど、若い主人公保本登役の高橋佑一郎がちょっと力み過ぎだった。女優陣はその辺り、もう少し肩の力を抜いた、余裕のある演技だった。

以下サイトからの転載。

山本周五郎原作 田島栄脚色 十島英明演出
赤ひげ
小石川養生所を取り巻く<絆>の物語
新出去定(赤ひげ) 嵐 圭史
保本登 高橋 佑一郎
森半太夫 武井 茂
津川玄三 益城 宏
井田五庵/天野源伯 志村 智雄
竹造 柳生 啓介
看病女お雪 北澤 知奈美
おゆみ/八重 妻倉 和子
お杉 江林 智施
まさを  今村 文美
ちぐさ/おきぬ 小林 祥子

以下、ちらし(サイト)にあった解説。

長崎で蘭法(オランダ)医術を学び、江戸に戻ってきた若き医師、保本登。彼には幕府お目見医の席が用意されているはずだった。
ところが、貧民施療院である小石川養生所に呼び出され、医長の“赤ひげ”こと新出去定に、有無を言わさず住み込みの見習医を命じられる。 
登は自暴自棄となり、禁制の酒に手を出すなど、赤ひげへの反発を繰り返した。 
婚約者の妹まさを、むじな長屋に住む悲しい過去を持つ佐八、一家心中する五郎吉とおふみ……
赤ひげの貧しい人たちに対する治療姿、真摯な生き方に触れ、登の閉ざされた心は徐々に開かれていく。 
あやめ、彼岸花、菊と季節は移る――
それぞれの過去を背負う人々との出会いと別れ。 
登が感じたものとは―― 
そして登が選んだ生き方とは――

新派のちらしの解説もそうだったのだが、なぜこういう的を射ていないものを堂々と載せるのか、ちょっとセンスを疑ってしまった。とくに最後の5行。だれか「検閲」する人はいないんでしょうか。たしかに芝居そのものも、この路線を踏襲していた。メロドラマに貶めていることに気づかないような脚本家は即刻退場させられて然るべきでは。

くわえて、芝居そのものがこのチラシに沿った「手あかに汚れたヒューマニズム劇」に化していたのが残念。やはりこれも脚色の落ち度だろう。原作ではこんな「ありきたりな」オチをつけるプロットとはなっていなかったのでは。先日、新派の『麦秋』(演出山田洋次)を観劇した折にも感じたのだが、こういう安っぽいヒューマニズムを今どき唯々諾々と受け入れる観客はいないのでは。
この1月で吉祥寺の前進座劇場閉場した。活動の主体がいわば「旅回り巡業」になっていることを、そのブログから知った。

多くの旅芝居が大変なことを考えると、固定ファンのいる前進座はまだ恵まれているのかもしれない。でもこの陳腐さを打破しないかぎり、新しい観客を取り込むのはかなり厳しいように思う。

それにしても残念。私が前進座の役者と出会ったのは映画でだった。いわずとしれた『人情紙風船』(1937)。監督は戦病死した山中貞雄。日本映画界は惜しい人を亡くしたんですね。京都博物館での古い映画上映会でみたのだが、フィルムが回りだしてしばらくして、『髪結新三』が種本だと気づいた。私がみた歌舞伎芝居より、ずっと洒落っ気と江戸下町の泥臭さが匂いたつような映画版だった。その雰囲気を醸し出していたのが(菊五郎ならぬ)中村翫右衛門だった!もちろん監督の演出がすばらしかったのだが、それ以上に中村翫右衛門を筆頭とする前進座役者のすごかったこと。のびのびと演じているさまは、画面からはみだしてきそうだった。圧倒的迫力。それがヒーロー的なものではなく、ダメな男なんだから、なんともたまりません。まさしく黙阿弥劇の真骨頂。黙阿弥っていう本書きはこういうイイカゲンでそれでいてホントは怖い男を描くと、筆が冴え渡るんですよね。この独特の雰囲気を纏うのは(菊五郎もいいけれど)、中村翫右衛門がぬきんでていた。ちなみに中村梅之助はその子息。そして梅雀はその孫。彼らが歌舞伎役者が纏えない独特の気をまとっているのは宜なるかな。

だから今の前進座がとても残念。次観たときにはいささかなりとも変っていて欲しいと願う。