yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

瀧本哲史著『僕は君たちに武器を配りたい』講談社2011年刊

出版直後に西宮北口ブックファーストで見つけて買ってしまった。面白かったが、これが勤務校の学生に紹介しても理解してもらえるとは到底思えなかった。たまたまランチを一緒した非常勤で来られている先生に話をしたところ、彼も既に読んでいた。さすが、国連ブルッキングス研究所とわたり歩いてきた経歴の方だと思った。

放置していたのだが、留学から帰国した学生に紹介したところ、興味をもったので、近いうちに回覧するつもりである。果たしてどの程度「理解」するかは疑問だけれど、その過激な論の一部にでも触れて欲しい。特に以下のところは重点的に読んで欲しいと願っている。

いくつかのキャッチフレーズがあるが、どれも日本的スタンダードからは過激で、反発必至だろう。

「生産性の低い40代、50代社員が幸せそうにしている会社には入るな!」
「ローリスクより、リスクがとれる範囲のハイリスク・ハイリターンの選択肢をたくさん選べ」
「サラリーマンとは知らないうちにリスクを他人に丸投げするハイリスクな生き方!」
「全産業でコモディティ化がすすんでいる。賃金を下げないためにはコモディティになるな」
「勉強ブームの陰には「不安解消マーケティング」がある。勉強すれば大丈夫と安易に思うな!」
機関投資家は、個人投資家をカモにしている。株式投資は『損して学ぶ』つもりで挑め」
日経新聞を読んでも鵜呑みにするな」
「現在人気の企業でも40年後は消滅している可能性大。就職ランキングに騙されるな」
「日本の国内市場は先細りまちがいなし。海外で働くことも考えよ!」
「生産性の低い40代、50代社員が幸せそうにしている会社には入るな!」
「サラリーマンとは知らないうちにリスクを他人に丸投げするハイリスクな生き方!」
「勉強ブームの陰には「不安解消マーケティング」がある。勉強すれば大丈夫と安易に思うな!」
機関投資家は、個人投資家をカモにしている。株式投資は『損して学ぶ』つもりで挑め」
日経新聞を読んでも鵜呑みにするな」
「現在人気の企業でも40年後は消滅している可能性大。就職ランキングに騙されるな」

彼が最後に提示するのが、「大学では『奴隷の勉強』(英語、IT、会計知識)に時間をかけず、自由人になるための「リベラル・アーツ(教養)を学べ」という方向である。瀧本自身京大で教鞭をとっているから、その学生たちへのメッセージで、不思議とハーバード大のサンデル教授の「正義について」の講義と連動している。

これから益々その傾向を強くするであろう資本主義社会の中で、他と交換可能なコモディティにされないために何をなすべきかを説く。利益を生むスペシャルな存在であり続けるは戦略を持たなくはならない。これからの社会で切り捨てられるのは企業も個人も全く同じなのだという。

さらに、「社会に出てから本当に意味を持つのは、インターネットにも紙の本にも書いていない、自らが働いて夢中になりながら手に入れた知識だけだ。自分の力でやったことだけが、自身で考えたことのみが本物の自分の武器になるのだ」と説く。資本主義社会を生きて行くための武器とは、勉強して手に入れられるものではなく、現実の世界での難しい課題を解決したり、ライバルといった『敵』を倒していくことで、初めて手に入るものなのだ。そのベースを作るのが文学、哲学といった教養科目なのである。

アメリカの大学は日本のような縦割りのなんとか学部というのがない。大きなカテゴリー(たとえばArts and Sciences)に分かれているだけである。もちろん工学系のような理系はもっとはっきり差別化してはいるけど。だから学生の履修する科目はリベラル・アーツが主となる。アーモスト大学のようなリベラル・アーツ大学が時としてハーバード大などよりも上に評価されるのは尤もなのだ。医学、法学、ビジネス等はその上のプロフェッショナル・スクールで勉強することになる。日本のようながんじがらめの縦割りの学部では想像もつかないだろう。日本の大学教育がいかに欧米規準から外れているか、これで分る。一寸先が闇のようなこれからの社会で、日本の大学がそこで生き抜くための「力」を学生につけていないし、これからもその見込みがないことが、これらのことからも明らかである。学生に残された道は大学教育などあてにせず、自身で力をつけるしかないのかもしれない。大学の意味が無いというのは哀しいけど。

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい